スーパージェッターという60年代のアニメは、近未来のSFでした。
(懐かしかー、年も分かるね)
ストーリーは、30世紀のタイムパトロールであるジェッターが事故で20世紀に落下。
今思うと「えーっ!」だよね、だって30世紀まで待たなくても…。
私が携帯で電話やメールをするなんて…15年前には考えられなかった。
考えてみれば、とにかく便利な世の中になったもんだ。
その昔、携帯を持っているだけでも自慢だったのだが…。
携帯は高級品だったから、用もないのに電話をしていたね、人前で。
ショルダータイプの時は、受注時に、ご遺族のお宅から電話するのが格好良かった。
ところが、今ではガキでも持っているし、生活の中に、それも中心に入り込んでいる。
(スーパージェッターも驚いているに違いない)
ところで携帯電話の普及率は、1995年を境に急速化し、
今や15歳以上の人口(労働力人口・生産年齢人口)の数に等しい。
若者の活字離れが懸念されているようだが、ちょっとそれはオジサンの感覚では?
新しい文化は若者と共にやってくるのです。
本屋に行けば、携帯小説が山のように並んでるし、中高生辺りは結構読んでるらしい。
そしてやつらは、文字を打つのもとにかく早い。
ブラインドタッチに近いか、事実そういう奴も珍しくない。
10台の若者にとって、携帯は友人との情報交換には必須のアイテムだし、
電波が届く範囲が友人の距離ならば、遠距離恋愛ならず遠距離知人は数知れず。
つまり活字離れどころか、活字にドップリと漬かっている。
携帯に依存している現象であろう。
携帯に依存していると、果たして何が問題なのだろうか?
それは、相手とのコミュニケーションが歪(いびつ)な形になるのではないか。
耳だけが繋がっている状態でのヤリトリに慣れた者は、
目の前に友人が居ても、離れた遠くの友人との会話を楽しむのではないか。
目の前を気遣うという発想が、そもそも生まれてこないのだろう。
だから、街中で携帯に依存している奴らは、無礼に振舞っているように思える。
実際にスーパージェッターを見たとき、独り言のように腕時計風のモノ…
に向かって喋っているのが、カッコ良いし、だけど無礼だし…
今、電車の中で携帯とニラメッコしているのが大流行。
ところで「Iのあるメール大賞」というのをNTTドコモがやっていて、
私は知らなかったものだから、ちと驚いた。
受賞作品からグランプリを紹介しましょう。
昨日、レインボウパパから
おやつパパになったことがわかりました。
この答えがわかったあなたは
きっと幸せになるでしょう
虹(2児)の父親から、三時(3児)の父親になったということです。
メールだからこそ、こういう洒落の効いたやり取りができるのでしょう。
若者の携帯を、頭ごなしに駄目と決め付けなくてもいいでしょう。
(我が家の娘は使い過ぎですけど…)
今後益々、携帯電話が次世代の文化創造に大きな役割を果たすだろう。