ところで、1月初旬はご葬儀が多かったようで、
どこの葬儀社も大変忙かったようです。
司会もオファーが多く、自分をコピーしたいくらいでした。
楽天イーグルスのマー君のように・・・。
(キム拓と楽天の野村監督の某CMをご覧の方ならお分かりいただけると思います)
最初打ち合わせなしの司会ということでお引き受けした仕事も、
いろいろ担当者が喪家と話を進めて行く中で、
結局打ち合わせが必要になってしまうこともありがちです。
時間を何とか調節して、できるだけ行くようにしていますが、
こうしたイレギュラーは大変負担になるので、
正直いってないにこしたことはありません。
故人の家族というものは、ナレーションの題材について、
葬儀社の担当者には、あれやこれやとまとまりのないことをしゃべるようです。
そして担当者が困り果て、仕方なく司会者を呼ぶことになるのですが、
不思議なもので、司会者を目の前にするとスイッチが切り替わるのでしょう。
何故打ち合わせに呼ばれたのか?
…と呼ばれたこちらが分からなくなるくらい、端的に話すことができるのです。
これだけ分かりやすく話せるなら、事前に送ったフォーマットに、
そのまま書き込んでもらえれば済んだことで、
わざわざ打ち合わせに行く必要もなかったのにと思うことがしばしばです。
勿論直接打ち合わせをすれば、ナレーションが作りやすい事は確かです。
疑問点もその場で聞けますから。
ただ、日にちがないことが多いのでそこまでフォローしづらいのです。
それとあまり細かく故人のことを聞くと、
かえって散漫になって、いいナレーションが作れなくなることがあります。
大事なことは、ポイントをいかに抑えるかということで、
お会いしなくてもいいナレーションが作れることもままあります。
故人を知らないからこそ、イメージがよく湧くということもしばしばです。
故人をリアルに知ってしまうと、嘘は書けないとつい正義感に燃え、
家族思いの・・・とか、皆から信頼されて・・・とか、惜しまれて・・・とか、
今まで平気で使っていたフレーズも使用できず、
故人を常套慣用句での表現ができなくなってしまいます。
いろいろ打ち合わせが出来なくても何とかするのがプロというものなのでしょう。
今度題材が多すぎるケースで、ポイントのチョイスの仕方など
例をあげながらナレーション講座を行ないましょうか。
節分の豆を鼻・・じゃなくて、口に入れながらエッセイをかきましたのよ。
皆様に福あれ!!