両親共、戦前からこの地元に住んで来ました。
もちろん親戚縁者もほとんどがこの地方にいます。
母は、すっかり東京へ行く気になっていますが、問題は父です。
父の性格から、東京に住むなどということは、絶対に無いことと誰もが思っていました。
でも、母の負担を考えれば、父も現実を見つめなければなりません。
「俺は、ここに40年以上住んでいるんだ」
「今さら、どこへ行けと言うんだ・・・」なんて言うかと思えば
「お母さんの気持ちも分かるようなあ」なんてシオらしいことも言い始めたのです。
父の気持ちも分かります。
本当ならそのまま暮らして行けたら一番いいのですが、
母は「限界が来た」と言っています。
今、母が倒れたら最悪の事態です。
「まだ元気で気力がある内に、東京での新しい生活を始めたい」とも言っています。
私も数回にわたり帰郷しては、父の気持ちを大切にしながら、
今置かれている現実について話し合いました。
そして少しずつですが、父がその気になってきた時です。
やっかいなことが起こりました。
父の弟妹達が、東京移住を反対したのです。
「東京なんて、人が住むところじゃあない」とか
「年寄は、だまされやすいからやめた方がいい」などと・・・。
「引越し代は高いよ」等とも言い始める始末です。
母にも父にも、直接的に又は間接的に、激しく反対を唱えたのです。
そのお陰で、せっかく気持ちが動いていた父は、すっかり移住する気を失しました。
がっかりしたのは母です。
少なからず私たち子供もです。
せっかく父の気持ちを盛り上げてきたのに、
あと少しというところで、計画が消えそうになりました。
こういう時に、家族以外の人というのは、結構無責任です。
感情的な部分や世間体だけで反対を唱えて、
そこに至った私達の「想い」などは知ろうともしません。
「じゃあ、反対した叔父や叔母達が、両親の面倒を見てくれるのですか?」
という言葉が、喉まで出かかりました・・・。
しかし、叔父達の気持ちも分かります。
「寂しいのだろうなあ・・・」長兄の父が、遠くへ行くということは、
やはり寂しいことなのでしょう・・・。
ですから私もその気持ちを考えて、少し時間をかけることにしました。
がっかりする母には「大丈夫、希望を持って行こうね」と、
何度も何度も言い続けました。
40年以上住んだ家を失うということは、
グリーフ(悲嘆)のように身近な人を亡くすことと同じです。
仕事をリストラで失うこと等も同じく、
人にとっての「アイデンティティーの喪失」です。
私達家族は今、その現実に向き合い、苦しみ、越して行こうとしています。
実家の建物や土地を失うということは、私にとっても大きな喪失です。
移住計画においては、両親を支えながらも、私は結構ショックを受けています。
その話が出てからは、足しげく実家に帰っては、
私としての「別れの儀式」を重ねています。
子供の頃から、我が家の春の花畑は、自慢の一つでした。
先日「今年も花が咲いた」と、母から聞いて飛んで帰りました。
たくさんの写真を撮りながら、庭先に母とたたずみ、のんびり話をしました。
何気ないこの時間が、かけがえのないものであるということに気づきました。
そして、この庭も、私を支えてくれていたことに気づきました。
近所にある県庁の、美しいしだれ桜も両親と見納めのお花見をしました。
両親が仲良く連れあって歩いている姿を久し振りにマジマジと見ました。
りっぱな高齢者の姿ですね。
この実家で、春を何度迎えたことでしょう。
そして今年はこれが最後です。
年を重ねても、まだこれから環境を変えて生きようとする両親に私は敬服します。
「これから、東京で、ワクワクする暮らしをしたい」
と張り切る母には、正直驚いています。
77才のどこから、このパワーがみなぎって来るのでしょうか?
移住について、後悔だけはしたくないと思っています。
そのためには、みんなで力を合わせて、一歩ずつ前に進むだけです。
さて、叔父・叔母の反対については、又、報告いたします。