美食の芸術論は横に置いといて、
「人の心を感動させるのは唯一、人の心をもってのみできる」
ということは、名言だと思います。
自分に当てはめてみると、例えば誰かからプレゼントをもらった時は、
そのプレゼントが何であったかということよりも、
それを準備した相手の気持ちが嬉しかったりしますからね。
「おもてなし」という言葉が接遇でもピックアップされます。
人におもてなしするということは、
その人の【情報】……例えば、その人がどういう過去を持っていて、
どういうことが好きで、何を趣味にしていて、
どういうことが嫌いで、してもらいたくなくて、
普段何を着ていて、何が好物で、どんな本を読んでいて等……
を出来る限りインプットしておいて、
その上で、相手に配慮した最適の行動をとることだと考えています。
この相手のことを思う一連の活動が海原雄山のいう「人の心」であり、
人の感動を呼ぶ基になるのではないでしょうか。
現代社会では、至るところで「情報が大切だ」「情報の時代」と言われます。
「情報」という言葉だけを拾うと、何となく無機で冷たい雰囲気を持っていて、
葬儀業界でも大いに敬遠されているような気がします。
ただ、今の社会で大切だ言われている情報の多くは、
上記に例を出したような人間味のある、生活感のある【情報】です。
人々の心(ある人は、購買心とも言いますが)を揺さぶるような、
「おもてなし」に近づくための【情報】です。
その【情報】を緻密にマーケティングし、分析して、
顧客が求めているものを探ろうとしているのです。
葬儀業界はどうでしょうか。
葬儀担当者は、亡くなった故人の【情報】を、
施行までにどこまで持ち合わせているのでしょうか。
その人がどういう過去を持っていて、どういうことが好きで、趣味にしていて、
どういうことが嫌いで、してもらいたくなくて、どんな本を読んでいて…
といったことを、担当者はどこまで知っているでしょうか。
また、知ろうとしているでしょうか。
「心からのサービス」「気持ちのこもったご葬儀」など、
葬儀社の事務所に入れば、よく見かける標語です。
もしかしたら全国の葬儀社が掲げている目標かもしれません。
だからこそ、その目標を達成するために、
具体的にどういった行動・活動をするのかが重要になってきますし、
私の感じるところ、その行動自体が各葬儀社の差別化になっている気がします。
宮城の某葬儀社では、一戸一戸に営業訪問を重視していると聞きました。
時には塩をまかれることもあるそうです。
誰もが、やりたくない仕事ではありますよね。
しかし、顧客を知るために、【情報】を得るために、
戸別訪問は非常に価値があると思います。
例え塩をまかれても、庭の様子を知るくらいは収穫があるでしょう。
そのちいさな【情報】ひとつひとつが、
最終的に良い葬儀をするために大切になってくると思います。