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2009年01月27日

宗教って…(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

鎌倉時代、浄土宗の開祖法然は「南無阿弥陀仏」と唱えれば、
極楽に往生できると説いた。
誰でも、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、
間違いなく往生できると説いた。
家柄が立派でなくても、学問がなくても、財力がなくても…。
当時、極楽往生から疎外され続けていた庶民は歓喜した。
深遠な思想であるにも拘わらず、時として単純で平易な教えは耀いた。
そして少し時代が進んで、木像よりも絵像、絵像よりも名号と。

あれから数百年…
今、寺の僧侶に、何を期待しよう。
今、お葬式の時だけ、お経をあげに現れる存在…といったら失礼かな。
今、精神的救いに対しては、何とも無力であることが徐々に明らかになっている。

宗教家は、その時代の、その社会に則して、
現実に生きている人々に「分かるように」話をしていく努力を怠ってはならない。
この際、歴史的背景はさておき、お経の意味すら…
理解してもらおう、という努力もない人が多いのでは。
アジアは、仏教・儒教・道教が影響しあっていて、
ヨーロッパはキリスト教とギリシア思想から成り立っていると言われるが、
宗教は、その方法論は別にして、人に対する根幹の部分では同じではないのか。

僧侶の方が、一番危機感を感じているはず。
それもなければ、なんとも「おめでたい」人たちである。

宗教は、ビジネスではない。
宗教は、金儲けの道具であってはならない。
大きく様変わりする葬祭業界を見るにつけ、
寺の僧侶の<人を救う>という実践の無さに絶望する。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年01月27日 09:00

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