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2009年02月05日

父の介護日記「二度目の発作」(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

ちょうど1週間・・・
父は(多分)あの世とこの世を行ったり来たりしながら、彷徨いました。
入院して1週間ほど経った時、父は二度目の脳梗塞を起こしました。
それと同時に母と私は主治医から
「もうそれほど、長くはないかも知れない」というようなことを告げられました。
次の転院に向けて、ソーシャルワーカーと相談を進めようとしていた矢先のことでした。
その日のお昼までは、ご飯も食べて、午後のリハビリを受けた後病状が急変したのです。
医師に尋ねられました。
「万が一、呼吸が出来ないような時には、延命処置は、どうしますか?」
実際には、そのような大きな事態にはなりませんでしたが、
いざそのときになると、それは簡単に決められることではないことが分かります。
父の命の尊厳と、私たち家族の思いをはかりにかけることは出来ません。
正直言って、私はその瞬間思いました、
「たとえ寝たきりでも、植物状態でも、父にはこの世にいて欲しい・・・」と。
「天命」や「大往生」などという言葉は、
簡単に使えるものでは無いということを感じます。
ましてや他人がそれを言うということは、とても危険なことかも知れません。
果たしてそのとき、何が正しいかなんて、誰にも分からないし、
多分、神様だって迷われる問題でしょう。
次にそのようなことが来たときに迷わないようにしなければいけません。
医師とも相談をしながら家族で話し合って決めて行くのだと思います。


実は父は、「睡眠時、無呼吸症候群」という病気も持っています。
発作で意識が無い間も、その病気はしっかりと父を支配しましたから、
眠っている間に呼吸は、しょっちゅう止まります。
長いときには60秒ほど止まりましたので、見守る私たちは
「あっ!もしかしたら・・・」と思う瞬間が数限りなくありました。
もちろん心電図にはつながれているので、ナースステーションでは、
なんら問題にしていないのですけれど、まじかにいる私たちは、
こちらまで息が止まりそうという状態で、見守っていました。

私たちはその日から「近い内に身内を看取るかもしれない家族」になりました。
家族から遺族になるかもしれないという、
あまり経験したことの無い日々を過ごしています。
今、あの日々を思い出しても、どうしても思い出せないことが多いです。
私は毎日、病院から帰って、その日の記憶をたどっては書き綴っています。
その言葉や状況をパソコンに残しています。
人間は、心が耐えられないような慌しい日々のことは、
忘れるように出来ているんですね。
その文章を読み返して思い出すことが多いです。
何せ、こういう仕事をしていますので、時には冷静な目で、
父や家族、病院スタッフを見ていることがあります。
(そんな自分が、ちょっと嫌になることもありますが・・・)
プロの講師の意識と、娘としての意識と、ごちゃまぜになっている気持ちを、
なるべく整理しながら、今多くのことを学んでいます。
これは父から私への「最後のプレゼント」かも知れません。



父は実際には、1週間ほどで意識を取り戻しましたが
「これ以上の回復は無い」と言われています。
一時期、父の命はとても緊迫しましたので、その間、遠くの親戚が、
お別れの為に訪ねて来たり、葬儀の事前相談をしたり・・・。
今、少し落ち着いた父を見守りながら、出来る範囲で、
日々のことをエッセイにまとめていこうと思っています。
私達家族は今、先のことがまったく見えず、時間が止まっているような日々です。
「家族は、第2の患者である」という言葉が、重く胸に響く毎日です。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年02月05日 09:00

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