そこは、立派なマンションの3階。
ドアを開けると線香の匂いが鼻を付く。
暗く沈んだ空間には、小さな布団に寝かされた子供。
その傍らには、ずっと付き添っていたであろう、若い母親の憔悴しきった横顔。
その周囲を取り囲む、両家のご両親たちや親戚の叔父叔母だろう。
人の死を前にした遺族は皆一様に悲しんでいるが、
幼い子供の場合は、特に悲しみの空気観が違う。
まさに絶望感のようなものが取り巻いていた。
若い夫婦の持ち物らしい色鮮やかで真新しい品物の数々が目に痛い。
本来なら、ドライの交換をまずやって枕飾りを設置し、
最後に様々な諸書類となるのだが、すぐには子供に近づけそうにない。
子供の脇には若い母親が陣取っていて、とてもそんな雰囲気ではないのだ。
そこでご主人にお話をし、死亡診断書の記入やスケジュールの確認をしながら、
この後、枕飾りの設置とドライアイスの交換をさせてもらいたい旨を告げる。
理屈の上で、適切な処置をしなければならないということを、
ご主人と会話をしているのだが、それとなく周囲の人々にも理解してもらう。
ご主人に促されるように、お子様に近づく。
合掌し、丁寧に布団をめくって作業を進めたつもりだが、
子供の死という受け入れ難い事実が、何かを狂わせているのだろう。
若い母親は、私の事を恨んでいるような目付きで見ていた。
(…あなたは、一体私の子供に何をしているの?)
神経がピリピリするというか、こういう時、本当に居た堪れなくなる。
とてもじゃないが、目を合わせられない。
ドライは直下にしか効かないが、小さいブロックに崩したとしても、
とても身体には直接乗せられず、脇に置いたのを憶えている。
それどころか、可愛い子供の寝顔のような顔を見ていたら、
こちらが泣き出しそうで、涙を抑えるのに必死だ。
枕飾りに供えられた、親子の写真の数々やお子さんが好きだったぬいぐるみ。
飲み物やお菓子や小さなオモチャ。
どれも昨日まで使っていたものらしく、臨場感が生々しい。
線香の匂いに混じって菓子類の甘い匂いが、不似合いで何とも悲しい。
そしてその前に、布団に寝かされた子供。
まるで今にも生き返ってくるかのようだ。
翌日、クマさん柄のかわいい棺(子供サイズ)が搬入されたけど、
お母さんの拒否で、結局、棺に納棺することはなかった。
出棺の時でさえ、霊柩車には空の棺を乗せ、(荼毘に附す時だけ、納棺する予定)
本当のご遺体は、お母さんに抱っこされたまま出棺したのを憶えている。
霊柩車の助手席には社長が乗った。
お子さんを抱っこしたお母さんは、いつものようにご主人が運転する車で、
まるで買い物にでもいくように火葬場へと向かった。
出棺の見送りに来た近所の人達も一様に無口だ。
私は、火葬場への付き添いがなく、残った仕事を片付けながら、
何ともやりきれない葬儀だったのを憶えている。