最初に入院した病院は、急性期医療の病院です。
入院手続きの段階で、次に転院する病院のことについて説明がありました。
「そんな・・・殺生な・・・」とのどまで出ている言葉を飲み込んで、
母と私は心の準備をしました。
最初の病院は、実際には2ヶ月半だけ置いてもらいました。
容態は落ち着いたけれど、父のように回復の見込みがない患者は次の病院へ移ります。
自宅に戻すわけにも行きません。
母が倒れれば、私にも大きな負担が回ってきます。
私の家族も巻き添えにしての、先の見えない戦いの始まりです。
次への転院に向けて最初に紹介していただいた病院は、とても人気のある施設です。
なんと、そこに入るだけで、3ヶ月から半年待ちであることが分かりました。
ですから、そこに入れるまでの間を別の病院にお世話になることにしました。
その中間の病院を決めるまでが、また大変です。
家族の病院通いの地の利や施設、お値段、内容・・・。
色々と相談をして、ある病院に決めました。
そして今度は、その病院と面接が行われます。
しかし面接も、順番待ち・・・・・。
介護する父を抱えて、身も心も疲れている私たちは、
最後の力を振り絞るように手続きを進めました。
そしてようやく、ひとつの病院から向かい容れの連絡がありました。
しかしこの病院は、患者に対してのリハビリ施術をしない病院です。
もちろんそれは承知の上転院をしました。
ですから母と私は前の病院で、作業療法士の方にリハビリ方法を教わりました。
寝たきりの父にとって、毎日少しずつでも手や足、肩などの、
関節を動かすことは必要です。
今私も母も時間を作って、毎日父の元に通うようにしています。
父とは両手、両足をマッサージしながら、色々なことを話します。
聞こえてはいるようですが、明確な返事はありません。
でも、いつか意識がハッキリする日が来ることを祈りながら、
私たちは父の魂に語りかけています。
次の病院に転院できるのは、いつのことやら先が見えない毎日ですが、
今日、そして今、父にしてあげられることを見つけて、
共に過ごす時間を大切に使おうと思っています。
新しい病院はそれほど遠い場所ではありませんが、
慣れない道のりに、多少母は混乱したようです。
何回か一緒に通って道を覚えました。
病院までの道すがら、素敵な遊歩道が私達を迎えてくれます。
ほころび始めた桜に、心がなごみます。
途中にあの「石川遼クン」が在籍する高校が見えます。
屋上にゴルフ練習場があります。
スポーツをする元気な子供たちの声が聞こえます。
病院とは別世界です。
春がやって来ました。
父が倒れた頃は、「春までには退院して、家族でお花見をしよう・・・」
なんていう夢を描きましたが、現実は厳しいものでした。
父を介護する日々が、私の暮らしの一部になって来ています。
毎日の疲れ方にも慣れてきました。
私も健康に注意しながら、母を支えて頑張って行こうと思っています。