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2009年04月22日

代紋 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

今風に言えば、エンブレムとでも言いましょうか。
今日のお話は、代紋にまつわるちょっとした思い出話です。

昔々、まだ葬儀司会だけでは食べていけなかった頃、
というか俳優業ではとてもとても食べれなかった頃、
関西方面のとある親戚に式典司会を頼まれました。
「○数年記念式典、○○トラック協会主催」のような司会なのです。
その頃、葬儀以外の司会なんてしたことがないから無理!とお断りをしたのですが、
「まあ、そう言わんと、遊びにおいでよ」みたいな事を関西弁で言われて、
「そうですか、じゃあやったこと無いけど、一生懸命やらせてもらいます」
てなわけで、兵庫県の方へお邪魔することになりました。
今思えば、勇気があったよなあ…と思いますけど、単に物知らずだったのでしょう。

会場のホテルはとてもピリピリとしていて、普通ではない感じ。
やっぱりね、いやーな感じは当たりました。
というのも、依頼主である親戚が神戸に向かう新幹線の切符を送ってきたのですが、
私にしてみれば生まれて初めてのグリーン券だったのです。
「へぇー豪勢だなあ」なんて思いつつ、いざ新幹線に乗り込むと、
そこには行き先を同じくする関東地方の怖―いオジさんやお兄さんが。
後で知ったのですが、○○連合や○○会などの人達。
とても落ち着いて乗っていられず、つい普通席へ移動しました。
「…ちょっと、大変なことになったなあ」

その後の様子については後日また報告しますが、
こんなゴタゴタがあって間もない頃、ある葬儀司会の依頼が…。
打ち合わせに行くと、またまた怖いオジサンのグループの司会を担当することに。
いやだよねえ、全く。(…マンモスブツブツ…こんな風には使いません)
印刷した礼状の確認作業の時、そこでチョットしたトラブルが。
先方が言うには、代紋(エンブレム)が白黒では困ると、正式に銀色にしてくれっ!
確か1500枚の礼状だったと思うが、その三角形の部分だけを銀色にしろと。
当時は、まだカラー礼状は登場しておらず、一晩で修正するのに大変な苦労があった。

確かこのグループは、名刺交換さえ「結婚式」と「総会」と「出所祝い」
だけと限定されていたように思う。
また、我が家も賀状のやり取りがあるので親戚からくるのだが、
別に代紋は銀色じゃないよ…と言いたかったのですが、
外注の司会者の性でしょうか、ひたすら丁重に対応していました。
無理難題ふっかけやがって…と思ったものです。

それでも、その葬儀社様は一日で1500枚、きちっと仕上げました。
きっと寝てないのでしょう…目が真っ赤でした。
ところが今度は、返礼品の数が1500個揃っているのかとの脅し?みたいなもの。
勿論ありますよ、使用しなかった分は返品できます。
しかし、このタイプの人たちは、過去の経験からですけど、
まあ、あまり手で持たれるという習慣を嫌うようなのです。
つまり、持って帰られないのです。(業者も当然そのことは知ってました)
親分に限らず、それなりの人も、手に紙袋なんぞをぶら下げて…は似合いません。
ですから業者も、車には1500個積んでいたのですが、
とても全部は出ないだろうと思って、数をきちっと出していなかった。
つまり、厳密にはこちらサイドのミスです。
大慌てで残りの分をセットして開式しましたが、冷汗ものです。
そして…やっぱり、大量に余って全て返品です。
アッハハ、これは仕方がありません。

セレモニーにしても開式前から…10分ほど前だったのですが、
「開式しろ」とうるさくて、仕方なく導師を呼びに行ったら、
また導師が「はいっ!」と式場へ来るものだからさ。
(導師も怖がっちゃって、威厳も何もあったもんじゃない)
我々が目を離した隙に、木魚の位置を右から左へ移したらしく、
音がうるさいと思ったか、単に邪魔くさいと思ったか…
それで導師に「申し訳ございません、すぐに直します」
すると導師が「このまま、このままで結構です」
へっ????何で・・・。(びびるなよ)
始まったら、間髪を入れずに「おい、司会者…焼香だ」だもんね。
参ったなあ。(やりたい放題だもんなあ)

筋が通っているといえば、通っていることもあるのですが、
何か変な所に気を使うような、気の使う場所が違うような、そんな葬儀でした。
司会は別にクレームが付いたわけでもなく、その後のことは関知しませんが、
集金はどうだったのでしょうか…ちょっぴり気になりました。

<因みに>
怖―いオジサンたちのグループは、組織の統制と団結のシンボルとして、
「代紋」と称する紋章を作定しています。代々受け継ぐので、家紋みたいなものです。
代紋が登場し始めたのは、明治の初期、他の組織との区別も付けやすく慣習化しました。
関東では、親分の一代限りが多く、新親分は新代紋で。
関西では、跡目相続者が組織とともに代紋を引き継ぐ傾向にあったと言います。
関西の有名な某Y組の三代目組長。
貸元、代貸、出方の三段階の下に位置する三ン下修行から登りつめ、
やがて三代目の組長を継いでから、代紋をバッヂにし、金文字の彫り抜きにしました。
金にしたのは当初は幹部だけ、下の者から不服が出て、やがて全員が金に。
バッヂには全て刻印が彫られていて、偽物はすぐに判明するようにしたとか。
偽物が出回るくらいだから、代紋の力は相当なものなのですね。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年04月22日 09:00

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