仙台駅から各駅列車に乗り、数駅ほど戻ると改札の向こう側に住職の姿が。
彼の周りには後光が射して、高く上げた右手の先には数珠が光り輝き、
どこからともなく聞こえてくるお経の声・・・というわけにはいかず、
髪の毛はフサフサに戻っていて(残念)詰らなかったが、
お久しぶりです、というわけで再会を喜びホールへと向かったのであった。
それにしても仙台の駅は思っていたより小さかったぜ。
(絶対、大宮の方が大きいね)
同じホーム(番線)に、二つの電車が同時に停まっていて、
それぞれ別の方向に進むのだけれど、乗る方としては迷うよ。
まして地元ではない私は、ドアも自動で開くものだと思っていて、
じっと立っていたら、あれっ、後ろから来た兄ちゃんが手で開けて乗り込んだ??
目の前で、ドアの前に並んでいた私がバカみたい。
葬儀の習慣と同じで、地域には地域のやり方があるのですなあ。
ホールの中、ご自慢のスチームコンベクションが輝いて見えたぜ。
今回は、しっかり写真を撮らせてもらいました。
鍋もお湯も使わず、一台で色々な加熱料理が可能、
また、厨房機器の整理と料理設置スペースの確保も。
「煮る・蒸す・焼く」という調理方法なら、これがあれば大丈夫。
ちょっとしたファミレスみたいだ。
この機械は、葬祭ホールの必需品だと思っているのですが。
温かい料理は、温かくしてから出しましょう。
それからホールの祭壇の前で、木魚の打ち方(間打ち)の実演を見せてもらい、
読経に合わせてポクポクと叩けば、深い余韻と荘厳な響きで厳かな雰囲気に。
いつの間にか気持ちも静まり、日々のお勤めも一層心のこもったものとなり・・・。
一通り見て周った後は、導師控え室に移ってお話。
導師控え室が、何とも落ち着くのでした。(本物だもの)
では、質問です。
前から聞きたかった素朴な疑問なのですが、住職としてお答えください。
(住職としては、お断りされました・・・あくまでの個人的な意見としてです)
<私>浄土宗は「他力」ですか、それとも「自力」?
<住職>・・・(少しニヤニヤしながら)んー、他力です。
―――――そう来ると思ってたぜーーーーー
<私>でも死装束の旅支度はしますよね?
<住職>あれは習俗ですから。
<私>でも四十九日の旅をしますよね?
<住職>・・・(ここの答えは伏せときます)・・・
大変面白いお答でした(紙面に書くのは難しい)
第二の質問です。
浄土宗では、臨終に際して西方を向いた阿弥陀仏の前に病人を寝かせ、
仏の右手に五色の糸をつけ、病人の左手にその糸を結んで念仏を数十篇唱えながら、
寝入るように息を引き取ると、極楽往生間違いなしと・・・(臨終行儀)
<私>もし・・・死ななかったらどうするの?
<住職>(笑いを堪えながら)私もその事が気になって偉い先生に訪ねたのですが、
もう一遍(時期を見て)同じことを繰り返すそうです。
<私>つまり死ぬ時は、何が何でもその状態を作り出すわけですよね。
<住職>まあ、そうなりますか。
それから二河白道の話に花を咲かせたり、善導大師の死に方についても蘊蓄を。
気がつけば、すっかり夕方に・・・急いで仙台に戻り、地下鉄で八乙女駅まで。
ここで待ち合わせです・・・セーフ!
さて、明日はセミナーです。