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2009年09月08日

葬儀司会講習会in青森の・・・不思議(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

青森県や岩手県には、○○戸(へ)という呼び方をする地域がある。
岩手県には、一戸、二戸、九戸が存在し、
隣の青森県には、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸がある。
あれれ? 何かおかしい、そう、四戸だけが存在しない。
そもそも「戸」とは何ぞや?
「屁のことか?」
「そんな匂うような名前の付け方はしないだろう」(お前は、小学生かいっ!)
青森はTV番組のケンミンショウでも、干し鱈に生卵を付けて、
さも<すき焼き風>な味わいで食べていたけど、今回は青森の不思議について。
(スタミナ源たれは美味しかったよ)

さてさてロングロングアゴウ、平安末期の事(時期分かってるじゃん)、
つまり12世紀、奥州で栄華を極めた藤原家が源頼朝によって滅ぼされた。
頼朝は戦に功績のあった武将、甲斐の国(今の山梨県)出身である
南部光行(八戸藩主)に所領を与えた。
それが、岩手県北部から十和田、野辺地から下北半島全域と太平洋沿岸を指していた
と思われる当時日本最大の郡域だ。(糠部五郡・・・ぬかのぶごぐん)
この地方は、南部駒と言われるぐらいだから、昔から大いに馬を育成していたことは
既に周知の事実、頼朝はこれに目をつけ馬を年貢(貢馬)として納めさせ、
また南部も甲斐の出身だけあって、馬の育成には大いに手腕を発揮したらしい。
この馬の管理や年貢(貢馬)を納めるために設けた行政組織が「戸」の起源らしい。
そして「戸」は九つに区分けされていたのだが、
四戸が消えた理由は、三戸の南部家によって滅亡に追い込まれたのでは・・・
という説があるらしい。(どうも良く分からない)
但し、苗字としては「四戸」というのがあると聞いたことがあるんだけど。

そして今回私が訪れたのは八戸。
この地域には「えんぶり」という行事がある。
ちょっと写りが悪いけど、これだ。(新幹線の終点、八戸駅にあります)

「えんぶり」は、この地方の代表的な民族芸能だ。
2が17日から4日間、市や周辺の農村で行われる豊年祈願お祭りである。
その昔、「えぶり」という農具を手に持って舞ったことから起こったといわれ、
それがなまって(元来なまってるから、わからないけど)「えんぶり」に。
詳細はこうだ・・・南部光行が赴任した奥州で迎える初めての正月。
光行は自分の家来達に武装させ、有力者たちの家を訪問させて酒を酌み交わしたが、
酒の勢い余って家来達は抜刀乱舞したため、家人たちは恐れ慄いた。 
このとき、その場に居合わせた農民・藤九郎という機転の利く男が、
賑やかに田植歌を歌い、農具を手に持って踊ったところ、
家来達は刀を納めてその様子を見物し、丸く治まったという。
これが「八戸えんぶり」に継承されたといわれる・・・。

えんぶりの舞手のことを太夫といい、太夫は3人または5人で編成され、
その他、笛、太鼓、手平鉦(てびらがね)、
歌い手など総勢15~20人ぐらいになり、これを1組という。
太夫は馬の頭をかたどった華やかな烏帽子を被って、頭を大きく振る独特の舞。
えんぶりには2つのタイプがあって、唄や仕ぐさのゆっくりした方は
古来からのかたちで「ながえんぶり」と呼ばれ、
これとは反対に唄もすりもともにテンポが速く、
勇壮活発な方は「どうさいえんぶり」と呼ばれている。
行事には、隣接町村も含め、毎年30余組が参加して、見る者の目を奪う。
子供の舞う「えんこえんこ」もなかなか楽しい。
昭和54年2月に国の重要無形文化財に指定されていて、青森冬の三大祭り、
みちのく五大雪まつりに数えられているらしい。

最後に青森県の不思議で紹介するのは、映画「スパゲッティナポリタン」だ。
主人公は、二人のオカマ(ニューハーフ)。
この二人、津軽弁と南部弁しか話さないので、地元の人以外さっぱり意味不明。
だけど、相当に面白いらしい。(私もまだ観ていない)
時に激しく対立して相手をののしり、時に熱烈な愛の言葉を交わす。
今でもライバル意識が強い、旧南部藩と旧津軽藩の背景を、
オカマの愛憎劇に置き換えたアイデアは秀逸らしいですよ。
私も東北弁をマスターしたら観ます。
では。


投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年09月08日 09:00

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