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2009年09月10日

十和田湖を訪ねました (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

八戸の某葬儀社様での講習会は、午後3時に始まり午後9時に終了という形式。
その後、食事を兼ねて八戸の歓楽街(そんなのあるのか)に行き、飲む。
夜遅くホテルに戻るが、明朝社長が十和田湖へ案内してくれるというではないか。
朝9時、颯爽とBMWがホテルのパーキングに滑り込んで来る。(キャーかっこいい)
いい年こいたオヤジが二人で(社長すいません)外車に乗って十和田湖かいっ!
(実は私はかなり前、撮影で十和田湖を訪れている)


十和田湖といえば、昨年話題になった湖面の県境が未画定であるというニュース。
十和田湖は青森県と秋田県にまたがる湖だが、すったもんだの挙句、
青森側6、秋田側4の割合で<分配>することに決定したとか。
これは廃藩置県以来、137年ぶりのことだ。
<分配>とは、地域の面積や人口などに応じて、
国から支給されるシステムになっている地方交付税だが、
境界未定地はどちらの県の面積にも含まれないため、
支給されるべき交付税をもらい損ねてしまうらしい。
実際には、十和田湖の面積に応じた地方交付税は6700万円。
これを6対4で青森と秋田に分配されたとか。
もっと早くから合意していれば良かったね。
国土地理院によると、日本全国の県境境界線未画定地域は十和田湖を含めて17。
例えば富士山頂付近、東京と千葉の県境である舞浜大橋付近や、
東京と埼玉の水元公園付近など、様々なドラマが展開しているようですよ。

焼山という場所を過ぎると、大きな橋を渡って、いよいよ奥入瀬の森へ。
九条武子が無憂華に書いた千古の森と評した苔むす大木の数々が待ち受ける。
奥入瀬の渓流も、意外に穏やかな流れだと思うと、
一転、次のシーンでは岩をも砕くほど激しく荒々しい。
倒れた樹幹も、折れた梢もそのままに、周辺の滝の数だけでも圧倒するほどだし、
その景観も、チョロチョロやザァーザァーなど、処々の趣を見せて飽きさせない。
それでも奥へ入って行くにつれ、少しずつ渓流は激しさを増すようだ。
遥に天空を覆う枝葉に遮られ、空気は冷んやりと気持ちよく、
霞みがかった様な青い緑色の世界に佇むのは不思議な気分だ。
人類は、森の中で育った時期がある・・・と勝手に確信した。

十和田湖は、千年前の御倉山の大爆発によって出来た二重カルデラ湖。
周囲44キロ、湖水はあくまで青い。
その青さが、光の加減・・・つまり季節によって変わるらしい。
伺った話だが、銚子の滝(下の写真)があるため魚が湖に登れず、
十和田湖には魚がいなかったらしい。
そこでヒメマスなどを放流したとか・・・。
銚子大滝は魚止めの滝とも呼ばれ、高さが7メートル、幅が20メートルあります。
ご覧のように、ほぼ直角に切り立っているため、
魚類はこの滝を登って十和田湖には行けなかったといわれています。


(銚子大滝)

私は20年ほど前、撮影で訪れている。
お亡くなりになられた石立鉄男さんと柏原芳恵さん主演の2時間ドラマだ。
タイトルは忘れた(ごめん)。
新婚カップルが豪華バス旅行中に殺人事件に巻き込まれ・・・というやつだ。
その撮影の最中、十和田湖畔での昼食時、サケかと思ってパクついたらヒメマスだった。
これはショックで、今でもその時のことが思い出される。(まずかった)
どうにもこうにも脚本が遅れ、暇でしょうがなかったから、
ホテルで石立さんに将棋の相手をさせられたものだ。
彼は滅茶苦茶強く、私が飛車角落ちで・・・も軽く負けたくらい。
因みに、私はそれほど弱くはありませんぞ。
石立さんは、プロ相手に打ってたくらいだからさ。
この十和田湖には、その他色々と思い出もあるのだが、
今回二度目の旅で、人間の記憶とはいかに曖昧で不確かなものかと思った。
「偽りの記憶」というのは、必ずあるものだ。

日本武尊(ヤマトタケル)を祀ってある十和田神社を見て、
高村光太郎作の一対のブロンズ裸婦像である「乙女の像」を横目に湖面を散策した。
私は好きではないが、「乙女の像」は十和田湖のシンボルだね。
それにしても森の中に「熊出没注意」には参りました。
「熊出没注意」の看板にも色々とあるものです。

行きは旧道で峠を越えて頂上まで登り、帰りは新道でトンネルの中を通って楽をする。
冬の間、雪に覆われ苦労した歴史があるから開発も進むのだろうが、
観光する者にとっては味気ない気がした。
この辺り、大きなホテルでもあれば家族で旅行をと思ったが相応しい物件がない。
またの機会に考えよう。

さて、この近くにある戸来(へらい)村。(新郷村大字戸来)
ここには、「イエス・キリストの墓」がある・・・らしい。
観光客は、ほとんど来ていないらしい。
帰りの車中で、笑った話だが・・・。
最後に、その奇説を紹介しょう。
昭和10年、竹内巨磨が他の調査目的でこの地を訪れ、
偶然2間から3間の長方形の盛り土を発見することがきっかけ。
(その後、どうやら古文献をひとりで調査したらしい)
そしてこの場所を、統来訪神と書いた目標を立て、十来塚と命名したそうだ。
それによると、イエス・キリストはゴルゴダの丘では処刑されず、
弟のイスキリを身代わりにして、本人は日本に渡来していて青森で死んだらしい。
戸来村(へらい)の村名は、ヘブライに由来し、
また村に伝わる五角形の家紋「桔梗紋」は、
ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」とそっくりだと・・・。
戸来小学校の校章もダビデの星と同じ形をしているのだどか・・・。
戸来村では、子供の額に健康祈願の意味合いを込め、墨で十字を書く風習が・・・。

大笑いしながら、八戸の駅まで送っていただきました。
大変お世話になりました。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2009年09月10日 09:00

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