現在、尊厳死を実施する際、本人の意思表示は重要なポイントです。
しかし、例え本人の意思表示があったとしても、
尊厳死に対して慎重な立場をとる医者も多いようです。
というのも、現在の日本では尊厳死の法律がありません。
尊厳死に対して、明確なガイドラインのない状況です。
ですから、医者は罪(殺人罪)に問われないよう慎重になるそうです。
川崎・協同病院事件の裁判で、裁判長は、
「尊厳死の問題を根本的に解決するには、
尊厳死を許容する法律やガイドラインの策定が必要」
と述べています。
日本尊厳死協会でも、法整備への活動を2003年から強めているようです。
尊厳死を社会に浸透させるためには、法整備が必要のように思います。
(ちなみに、諸外国ではオランダ、ベルギー、フランスで法整備が進んでいます)
尊厳死の意思表示は「リビング・ウィル」とも言います。
カタカナ語からわかるとおり、尊厳死の考えは外国から入ってきたものです。
先生の話を聞いて興味深かったのは、
なぜ外国で尊厳死という考えが生まれたのかという考察。
外国は狩猟民族で、狩った獲物に対して「権利の主張」が出てくる。
権利を主張する社会ができる。死に対しても、権利の主張が出てくる。
一方、日本は農耕民族で、「みんな」で協力して育て、「みんな」で食べる。
みんなのことを考える社会。だから、個人の権利を主張しにくい。
そう考えると、尊厳死という個人の権利を考ることは、
日本では馴染みにくいのでしょうね。
ただ、日本尊厳死協会の会員は継続的に増加しているようです。
日本尊厳死協会の歴史においては、特に、昭和天皇の終末医療時、
100日にわたる延命治療の後に、会員が急増したそうです。
昭和天皇が生まれた日は「昭和の日」となっていますが、
亡くなられた日は、「命の日」に相応しいのかもしれません。
(…どうも纏まりのない文章になってしまいました)
PS.
尊厳死ではありませんが、
命の問題(介護問題)として考えさせられた認知症の母親殺害事件(温情裁判)。
ちなみに、認知症は尊厳死の対象にはなりません。
そのことは、講演でも話されていました。