その「ぜんざい」の語源に関してです。
諸説あるようですが、
ラジオでは次の説をピックアップしていました。
10月と言えば神無月。
全国の神様が出雲に集結する月です。
出雲地方では神在月(かみありづき)と呼び、
前半は出雲大社、後半は佐太神社で「神在祭」が執り行われます。
このとき、佐太神社で振る舞われるのが「神在(じんざい)もち」。
これが訛って各地に伝わり「ぜんざい」となった…というのだそうです。
ちなみに出雲弁で「じんざい」は「ずんざい」と発音し、
出雲地方では、スーズー弁で「ズ」の音ははっきりと発音しないため、
これを他の地域の人が「ぜんざい」と誤って聞き、
そのまま京都に伝わったのではないか…とも言われているそうです。
面白いですね。
言葉が訛って正確に伝わらなかったものが、
文化の中心でもあった京都で正式な名前として流通する…。
現代でいえば、渋谷の女子高生が「空気読めない」を「KY」と略し、
いつの間にか大人の会話でも使われるようになっている。
そんな流れに似ているかもしれません。
最近よく見る、「JK」とか、わかりますか?
「常識的に考えて…」の略だそうです。
そう考えると、言葉は生きている(変化している)のだなと思います。
…「チョベリバ」は、もう死語になってしまいましたね。
何気なく使っている言葉も、
その語源を調べてみると面白い由来もあるものだと、
ぜんざいのラジオを聞いていて思いました。
余談ですが、「ぜんざい」の語源もう1説は、
仏教用語である「善哉(ぜんざい、よきかなとも読む)」にちなんだ説。
「善哉」とは、「すばらしい」を意味するサンスクリット語「sadhu」の漢訳です。
一休宗純が最初にぜんざいを食べたとされ、
あまりの美味しさに「善哉」と叫んだことから、これを「ぜんざい」と呼ぶようになったと。
ちなみに「善哉」とは仏が弟子を褒める時に使う言葉で、
「それで良い」「実に良い」といった意味で用いられるようです。
真宗大谷派(東本願寺)のホームページを見ると、
ぜんざい…というより「善哉」の詳細が書かれています。
http://www.tomo-net.or.jp/book/word/34_05.html
調べてみると色々と出てきますな、ぜんざい。
恐るべし、潜在力をもった言葉…。
それでは、また。