時計は永遠に止まったままだ。
母親に作ってもらったお弁当を、大事に腹に抱えるように死んでいった子供。
その弁当箱は、真っ黒になっていた。
広島の人にとって8月6日の8時15分は、
終戦記念日の8月15日より重い。
(どうして、8と15という数字?)
原爆ドームとして名高い旧広島県産業奨励館の残骸。
建物のほぼ真上600メートルの空中で爆発した一個の爆弾によって、
20万人を超える命が失われ、半径2キロに及ぶ市街地が廃墟と化した。
この原爆ドームは、資料館と共に、かつての地獄絵を現代に残している。
核の無い平和な世界を目指す者たちの象徴として。
私は広島へ行く機会があれば、原爆資料館へ足を運ぶ。
司会研修が2日間で前泊だから、その日に見学しようと思っていたら、
11月からアメリカ研修旅行へ行くのにインフルエンザの予防接種を、
ということになり、急遽予定変更で近所のクリニックでチクリ。
時間的にも、とても前日の見学は無理ということで、
研修会当日の朝、早く起き市電に乗ってやってきた。
11時過ぎには研修会場へ戻ったが、様々な事柄が頭に浮かび、朝から気分が重い。
資料館は、色々な県からの修学旅行の小学生たちで騒々しい。
また、外国から訪れている観光客もかなり混じっている。
しかし、どの外人も珍しく無口である。
陽気なヤンキーは影を潜め、暗く何かを黙考しているようだ。
大人しくなった小学生の群れに交じり、館内を徘徊していると、
出口付近に1枚の写真。
そこには廃墟と化した広島の瓦礫の中から芽を出す植物が。
「その秋、75年間は草木も生えないといわれた広島で、新しい芽が息吹きました。
焼け跡によみがえった緑に人びとは生きる勇気と希望を取り戻しました」
少しホッとするが、苦しみ、怒り、痛み、何をすべきかの悩み・・・
訪れるたびに、感じることが変わる。
これがいつもの光景なのです。
広島、ヒロシマ・・・
想いは深い・・・だが研修が待っている。
こうしてヒロシマを訪れるたび、僕らが生まれる前の悲惨な世界がここにあった事を、
僕らに繋がる多くの日本人が体験したことを、それも、たかだか数十年前に起きた事を、
決して忘れずに後世に残さねばと思う。