羽田から熊本まで飛行機で・・・その飛行機が・・・アメリカに比べたら日本なんて
全然たいしたことない、5時間までは座ったままで平気と豪語していたのですが、
羽田空港の上空は風が強く、搭乗時間が1時間ほど遅れ、
やっと乗ったら乗ったで、まあ揺れて揺られて飛んでイスタンブールでした。
当初予定していた熊本城・・・間に合いません。
講習会が目的で行っているのに何をしているのか。
これはアメリカ研修の雰囲気から抜け出せないからでしょうか。
が、せめて写真だけでもと思い、須戸口門まで行きました。
(あっさり諦めきれないのは、そうエッセイのためです)
それにしても熊本城って、でっかいどう!(北海道)。
熊本では加藤清正公のことを「せいしょこさん」と呼ぶらしい。
「清正公」を「せいしょこ」と音読みし、戦国武将・加藤清正に、
更に親しみを込め、「さん」付けして呼ぶそうだ。
(戦国の武将が、クマモトのおっちゃんにならないのだろうか)
その「せいしょこさん」は、武者返しと呼ばれる独特な石垣で熊本城を築いた。
時代は、安土桃山から江戸初期に跨る熊本の領主。
その単なる領主が400年を経た今でも、「せいしょこさん」と、
親しみを込めて呼ぶのには訳があるようだ。
名城「熊本城」を築いただけではなく、県内至る所で治水・利水事業を行い、
子々孫々まで熊本に貢献されたことへの感謝の気持ちの表れらしい。
このクマモトのおっちゃん「せいしょこさん」は、ただのおっちゃんではない。
城の傍には加藤神社があり、既におっちゃんは神の領域だ。
加藤神社だけではなく他にも神社やお稲荷さんがあり、
この時期、七五三と受験合格祈願で賑わっていた。
また熊本の凄さは、駅の近くが栄えるというのではなく、
この熊本城を中心にして栄えているのだ。
お城近くの道路幅も広く、周りはずらーとビジネスホテルで囲んでいる。
そしてこの地にも市電が頑張っていた。(今回乗車せず)
少し散歩をしただけで、もう夕闇だ。
さて、明日から二日間は葬儀司会研修だけど、
現在、どのようなレベルにあるのか皆目見当がつきません。
実はその当時、かなりハイクラスな司会レベルを維持している単体があった。
朧げながら昔のメンバーの事も気になり、今どうしているのか・・・と。
この主催団体は県内に24ホール程度所有し、約3500施行を行っているらしい。
熊本県内の死亡者数が約18500だからシェアとしては20%だ。
ただし、熊本市内で5500程度死亡していて、その管轄のシェアは約5%だから、
トータルで見ればかなり健闘しているし、今後伸びる余地があると思っている。
熊本市内にも、福岡県の北九州市や名古屋市内と同様に、
一本の道の左右に葬祭会館が乱立している道路がある。
かなり、激戦だね。
この状況、「せいしょこさん」のおっちゃんは、どう思っているのでしょうか?
帳が下りた夜の静寂(しじま)に天守閣が浮かび上がっていました。
続く。