この近辺には、日蓮の誕生寺があり(高光山日蓮誕生寺)…日蓮は1222年の誕生…
お上人誕生の時、波間をタイが飛び跳ねて祝ったとされ、鯛の浦と名付けられている。
この地は昔から殺生禁断の聖地として保護されていたらしい。
それから記憶を頼りに書くので定かではないが(すまん)、
近くにある清澄山清澄寺というのが、若き日の日蓮さんが修行していた寺。
たしか当時は、天台浄土門の寺ではなかったかと記憶している。
若かりし頃の日蓮は、19歳で比叡山へ修行に来るまでこの寺に居た。
そして比叡山で修行をし、千葉へ帰ったと思ったら・・・突然「日蓮宗」。
吃驚したろうなあ・・・当時の人々は・・・今では日蓮宗に改宗。
しかも宗派に自分の名前が付いているなんて、日蓮さんだけ。
そういえば、10月27日・28日は御会式だったよなあ。
今日は・・・たしか10月28日・・・ドンピシャだよ。
車は一路、鴨川へ向けて走っている。
海岸沿いの道は暗く、走行する車も決して多くはない。
所々に大型の観光ホテルがライトアップしている。
「あっ、テレビで宣伝しているホテル三日月だ!」
「・・・」
「俺は、田舎者かよっ!」
「もうちょっと先は、キムタクがサーフィンをしに来るところで」
「えっ、じゃ酒井法子の焼けた別荘もこの辺ですか?」
「あっ、そうですよ・・・この道を云々・・・」
土地勘のない私には、さっぱり分からない。
このように他愛もない話ばかりで、でも肩も凝らずにリラックスできました。
ついに鴨川のかんぽの宿に到着。
ここのホテルは屋上大浴場がある・・・しかも太平洋が望める風呂だ。
部屋から、太平洋に昇る朝日を拝みました。
南無阿弥陀仏・・・合掌。
(ちょっと天候に恵まれない)
研修会は昨日と同じパターンで進み、何とか故人の情報を掴むコツや、
それらを葬儀にどう生かせばよいか、司会にどう連動させればよいか。
流れ作業でワンパターンにならずに、個別対応でオリジナリティに溢れ、
ご遺族が納得する葬儀の成立ってどういうものなのか、深く考えてもらった。
例として、私が高坏や化足に盛った果物のお話や、ゼリーや饅頭の話まで。
水に色を付けるため工夫した話や、半紙を用いず派手なインド紙を使った話など。
発声練習もしっかり・・・右脳トレ、左脳トレ、新バージョンもたくさん混ぜてね。
お経の話も色々と出ましたが、この地域は、わりと日蓮宗が強いのですね。
皆さん、色々とご苦労されているようで、お疲れ様です。
地域格差・・・これは同じ会社でもやはりあるようで、
漁村と農村と都市部では、それぞれ習慣も違いがあるし、また個別の違いもある。
伝統的な考え方も色濃く残る地域とそうでもない地域。
顧客満足を考えた時に、担当者も司会者も難しいねえ。
二日間、司会音声コピー重要性について。
強弱、高低、早い遅い、長い短い・・・など、ニュアンスの出し方について。
そもそも司会を学ぶ、それも葬儀司会を学ぶとは、一体どんな勉強が必要か。
時間に限りがあるが、出来るだけのことは話たつもりだ。
お土産もしっかり置いてきてある。
これからの上達ぶりは、皆さんに掛っていますよ。
頑張ってください。
お疲れ様でございました。