「岩見沢複合駅舎」は、2000年に漏電が原因で焼失し、
2009年に公募デザインで再建、再開業した建造物です。
駅舎の外壁には、市民が制作したレンガや、
鉄道の町を象徴する古レールを使用した全面ガラスファザードを採用しています。
建築の段階で住民とのコミュニケーションや街の特徴を取り込み、
愛着を持たれるよう考えられた設計プロセス。
駅舎のデザインというのは、電車の停発車のためだけでなく、
そこに住む人がコミュニケーションするための場を設計することでもあると、
考えさせられました。
グッドデザイン大賞の歴代の受賞履歴を見ていて分かるのですが、
「形」の革新性だけの選考基準ではないようです。
ハイブリッド車や水素蓄電池などをはじめ、
社会や環境に与える影響や人間生活へのインパクトなども加味され、
大賞選考されているようです。
デザインは、それをデザインした人のセンスだけではなく、
それを使うユーザがいかに生活に取り込むか、
そのデザインを生活の一部とできるかに、価値があるのでしょう。
(その意味では、マーケティングとも似ている気もします)
話はそれますが、先日ある記事を読みました。
それは、マイクロソフト社とアップル社の違いを比較した内容でしたが、
最も大きな違いはデザインに対する追求の差であると書かれていました。
アップル社は、デザインを徹底的に追求してきたことで、
近年の成功を生み出していると。
私も実際にアップル社のiphoneを使ってみて感じるのは、
アップル社は細部までの使用者の経験(使用感)を大切にしているという点です。
アップル社が全ての製品に関してデザインを追求している…と言っても、
全て自社開発で商品を調達しているわけではありません。
マイクロソフト社や他の大企業と同様、他社の部品を集めて、
自社製品に仕立て上げています。
しかし、アップル社は他社の部品に対しても自社で責任を持つ。
自社の完成品の全てに、アップル社は責任を持つからこそ、
ユーザにとって満足度の高い、完璧な製品ができるのでしょう。
葬儀ビジネスも、似たようなことが言えると思います。
返礼品や料理を含め、全てを自社製品で賄うことは難しい。
(大手は、できるだけ自社で賄おうとしていますが…)
しかし、他社製品だからといって、責任を持たないのか。
他社製品だから、任せっきりで良いのか。
寄せ集めただけで良いのか…となると、
それは葬儀社として「デザインができていない」ということになるでしょう。
どこまで顧客に対して責任を持つのか。
顧客の経験する葬儀の過程や製品に対し、どこまで細部まで追求できるか、
責任を持つのかが、顧客満足に影響を与える気がします。
祭壇やメモリアルコーナーを彩るだけでなく、
顧客の葬儀経験を念頭に、葬儀全体を設計する。
それこそが、葬儀をデザインするということになるでしょう。