年頭から時期が外れたからでしょう、
参道を歩いていても日本人の参拝者は疎らでした。
(黒い街宣車が数台停まっていましたが…)
一方で外国人観光者は多くいました。
ツアー客だと思われるいくつかの団体が、
慰霊碑などを眺めがらガイドの説明を受けて観光していました。
海外では、靖国神社のことを「war shrine」(戦争神社)と表記することもあるようです。
海外でも戦争のイメージが強い神社なのでしょうね。
8月の終戦記念日に靖国参拝問題が起きるたびに、
日本国憲法の「政教分離」の原則が思い起こされます。
かつては靖国神社の国家管理化を目指す「靖国神社法案」が、
自民党から国会に提出されたこともありました。
何度も審議されましたが、結局、廃案になりました。
結果、今では終戦記念日に閣僚が参拝する形に落ち着いているようです。
閣僚が終戦記念日に靖国神社を参拝することが、
政府と神道とのつながりをイメージさせるかは、微妙な問題です。
大日本帝国時代、日本政府の政策により、国家神道がありました。
「国家神道は宗教だったのか」というのは今なお議論の的となっているようです。
葬祭ディレクター技能審査では、国家神道に対する見解を聞かれることはないですが、
この時期、1868年の神仏分離令により神仏習合の慣習を禁止し、
神道と仏教、神と仏をはっきり区別されるようになったこと、
また、神仏分離令を発端に廃仏毀釈が起こり、
各地で寺院や仏具の破壊が行なわれたことは、
学科試験問題で良く出されているところです。
靖国参拝は、宗教と政治の関係だけでなく、戦没者を慰霊する意味もあります。
(政教分離の批判を回避するため、閣僚の参拝は慰霊を理由にすることが多いでしょう)
靖国神社に訪れてみると、戦没者の慰霊モニュメントが多くありました。
中でも目を引いたのは献木でした。
拝殿前に植えられた桜に、戦没者遺族の各会の献木パネルが掛けられているのですが、
その数が多く、名称も独特でした。
戦没者遺族の戦争で亡くなられた方に対する慰めの強さなのか…。
靖国神社は、他の神社と違う雰囲気がありました。
戦争と結びつきの強い神社ということを、改めて強く感じた初参拝でした。
ちなみに、おみくじは末吉。
こちらの紙片の内容が合っていれば、無難な一年になりそうです。