先日、何気なく立ち寄った本屋で話題のダイヤモンド社の週刊誌が出ていたが、
手に取る気にもならず素通りし新書のコーナーを巡っていた。
(最近は、年のせいか読む本の傾向が変わってきている)
すると、一冊の気になる本と出合った。
「著作権の世紀」―ー変わる「情報の独占制度」・・・福井建策(集英社新書)。
一瞬、著者の建策という名前が【検索】と言う字に見えた。
ここまで来ると、一種のネット病かもしれない。
でも、これも何かの縁だと思い手にとってペラペラと捲ったらあらら面白い。
そこでチーン、購入ということになった。
著作権については、それなりに勉強になった。
その本の中から、興味ある記事を紹介したいと思う。
(以下、結構抜粋しています)
2006年、漫画家松本零士さんとシンガーソングライター槇原敬之さんの裁判。
槇原氏がCHEMISTRYに提供した「約束の場所」の歌詞の一部が盗作だと
松本氏に訴えられ、逆に槇原氏は名誉棄損(?)で猛反発。
槇原氏は「自分が銀河鉄道999を読んだという根拠を出して欲しい」と主張します。
この辺りは著名人同士だけにマスコミのニュースでも賑わった記憶がある。
それぞれの作品を見てみよう。
まずは槇原氏の歌詞から・・・
どれだけ時間がかかっても
夢を叶えるその時まで
あくびもせかす事もせず
未来は待ってくれていた
夢は時間を裏切らない
時間も夢を決して裏切らない
その二つがちょうど交わる場所に
心が望む未来がある
夢を携えて目指すその場所に
僕がつけた名前は「約束の場所」
(槇原敬之詞・曲「約束の場所」2006年発売)
一方松本氏の作品は・・・絵(漫画)は無理だからセリフだけで勘弁ね
時間は夢を裏切らない
夢も時間を裏切っては
ならない
知的生命体の
全てが
心の中に抱いている
信念である。
星の海を旅する者
全ても
そう信じている。
地球人と姿形は
まったく違っている
生物であっても
その想いに
変わりはない。
(松本零士「銀河鉄道999」平成17年2月15日ビックコミックスペリオール増刊号)
実は、二つの作品が偶然似ていたとしても著作権侵害にはあたらない。
著作権侵害を主張する松本氏側は、①槇原氏がオリジナル作品を見ていること(依拠性)、
②良く似た作品を作った(類似性)、という2点を証明する必要がある。
もっとも「見た、聞いた」の直接証明は難しいので、しばしば①の条件は
「疑わしき状況」で示していくことが多いそうだ。
銀河鉄道999はTVアニメで大ヒット、そして映画化までされたほどの人気作品。
槇原氏が見ていた可能性は高いと思われたが、
槇原氏は「個人的趣味により、銀河鉄道999は読んだことがない」と主張した。
実は私も銀河鉄道999を読んだことがありません。
勿論、作品は有名ですから知っていましたが・・・。
そして筆者(福井建策氏)は、銀河鉄道999のファンで繰り返し読んだはずなのに、
問題の「時間と夢」のフレーズは記憶になかったらしい。
その疑問は、ひょんなことから氷解する。
実は、松本氏が訴えたフレーズは、平成17年に新たに登場した新シリーズだった。
上記のセリフの下にあるとおり、増刊号だったのだ。
(松本零士「銀河鉄道999」平成17年2月15日ビックコミックスペリオール増刊号)
つまり、槇原氏の読んだことがないという主張は、にわかに信憑性を帯びてきた。
でも私は、自分も読んだことがないので、
端から槇原氏の主張を不思議だとは思わなかったが・・・。
そして2008年、東京地裁は松本氏に損害賠償を命じ、
控訴審で松本氏が槇原氏に陳謝する内容の和解が成立したそうだ。
しかし、ここで筆者(福井建策氏)は疑問を投げかける。
仮に、槇原氏が銀河鉄道999を読んでいたとしても、
「時間と夢」論争に関する、この程度に似ているたった2行のフレーズが、
松本氏に長期間独占できる権利(著作権)を与える必要性があるのか、ということです。
※以下2行のフレーズ参照
「夢は時間を裏切らない
時間も夢を決して裏切らない」
と
「時間は夢を裏切らない
夢も時間を裏切ってはならない」
たった2行の言葉で、この程度で類似性が疑われるならば、
今後の創作活動は非常に難しいものになると思う。
「夢と時間」という普遍のテーマで何か書くとすれば、著作権に抵触する可能性は大だ。
そういう意味でも妥当な結論だったと思うが、この項とても面白く読めた。
私は、葬儀ナレーションのオリジナルバージョンを、
駄作を含め数多くだしているつもりだが、
多少真似されたからといっていちいち訴えていたらどうにもならないはず。
松本氏自身も宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に<着想>を得ているのは間違いないはず。
<着想>を得る・・・その程度は問題ないと思うしかない。
因みに、槇原氏は好みのシンガーではない。