私は日本人の原風景だと言われる京都に対して、
仏教を中心とする外来文化の集大成だと揶揄してふざけているのだが・・・
何故京都を茶化すのかというと、全国にある寺院の中で、
葬儀をやらずに食えるお寺、つまり観光中心のお寺が多いからだ
・・・だが、今回訪れたのはその京都。
しかも、セミナーとは何の関係もない宇治市に宿泊させてもらった。
この宇治という地域は、京都と奈良の中間地点にあり交通の要所として栄えてきたが、
清流宇治川が流れる風光明媚な土地としても歴史の舞台を数々彩ってきた。
宿泊地の近隣には、世界遺産・平等院鳳凰堂がある。
生憎の雨だったが、10円玉でしか見た事のない景色を眺めてこよう。
入館時の拝観料とは別に、鳳凰堂内拝観券を更に購入し早速拝観してみる。
時間は15分程度と決められ、堂内は写真撮影も写生(スケッチ)も禁止、
また国宝だから柱や扉絵などに触れることもできない。
(10円玉の図柄と同じです)
平等院鳳凰堂の特徴は、池の中にスックと建っていることで、
まるで極楽の蓮池に浮かぶ宮殿のように美しい姿を晒していることだ。
鳳凰堂が建つ湖面の岸辺には、玉砂利で州浜を敷き詰め優雅な趣を醸し出している。
案内人に誘導され、堂内へ入ると大きな阿弥陀如来座像が端坐していた。
これは古い、かなり古いと思うが、その周囲の壁と扉には九品来迎図
(上品上生~下品下生までの9パターン)が描かれ、
上部の壁には52体の雲中供養菩薩像が、
密集していると言ってもいいぐらいに懸けられていた。
修復したとはいえ、阿弥陀如来像の随分剥がれ掛けた金粉(メッキ)は、
古の時代にタイムワープさせてくれる雰囲気がある。
観光地に対して何となく持っている私の想像を軽く裏切ってくれるほど、
傷んでいるのが・・・とても良いではないか。
千年に亘る悠久の時の流れを感じるのだ。
(中央に薄っすらと金色に輝く阿弥陀如来の頭部が望める)
平等院鳳凰堂の「鳳凰堂」と名が付く理由は、
この阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰1対のせいだ。
下の写真では分かりづらいと思うが、これは復元されたものを乗せてあり、
実物の鳳凰は、平等院ミュージアム鳳凰館に展示してある。
1,000年前、平安時代・・・末法思想(注)が貴族や僧侶の心を捉えた。
それは貴族の没落と武士の台頭が見られる動乱期で治安の乱れも激しかったという。
何故流行ったかは難しい問題だが、僧侶も僧兵を出したりしたから、
おそらく世の中の乱れに乗じてだろう。
注・・・末法思想とは釈迦が仏教を起こしてからの1000年が正法(しょうぼう)
(500年とする考え方もあり)、次の1000年が像法(ぞうぼう)、
その後10,000年が末法といって、釈迦の教えが正しく伝わらなくなる。
これらは一般に仏教史観で「正像末」と言うが、一般の終末論とは違って
(良く間違えられるのがやっかいだが)、あくまで仏教史観である。
つづく