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2010年03月09日

関西へ司会研修に行ってきました その2 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨日の写真では、全て10円玉と同方向からの写真だったけど、
堂内の見学時には、朱に塗られた太鼓橋を渡って真横から入る仕組みだ。

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来座像やその周囲に巡らされた来迎図からも、
平安時代には阿弥陀如来信仰が盛んだったことが理解できる。
阿弥陀如来は、元来「アミータ」と言って現在のネパール付近で起こった
「アミータ信仰」が、中国で音写されて阿弥陀(如来)となったという。
阿弥陀如来を信じて信仰していれば、臨終に及んで極楽浄土へ導いてくれる。
そういう教えが平安時代には盛んになって、結果来迎図が描かれたのだ。
(注)私は来迎を「らいごう」と読むが、浄土宗の方は「らいこう」と濁らない。
来迎(図)については浄土教の教えで、臨終の際、紫雲に乗った阿弥陀如来が、
脇侍(きょうじ)と言って左右に従えているのは、観音菩薩と勢至菩薩。
雲の上に立って合掌しているのが観音菩薩、蓮台を持っているのが勢至菩薩。
(注)菩薩とは、如来の一歩手前の位である。
更に井手流に表現すれば、仏の位にリーチが掛った状態なのが菩薩という、
と言って偉い僧侶に笑われながら怒られたことがある。
「間違ってないけど、正しくない・・・が面白い」と。


(近くの橋の欄干から宇治川を)

鳳凰堂内の阿弥陀如来座像については昨日書いたが、
周囲の上部にある52体の雲中供養菩薩像については記述していない。
これも実物が平等院ミュージアム鳳凰館に展示してあるのだが、
驚くのはその仏教音楽の楽器の多様性だ。
見た事も無いような、強いて言えば楽器のようだけど、大体の音は想像できるけど、
実際にその楽器から奏でられる音を聴く機会が永遠に失われているのだ。
まるで絶滅した動植物のように、図鑑にだけ掲載されている感じである。
平安の時代に、のびやかに、柔らかに、豊かに奏でられたであろう・・・仏教音楽の調べ。
誠に残念なことだが、そもそも仏教音楽は日本音楽界の商業ベースに乗れず、
出版や録音さえ実施されていないのが実情である。
ましてや、平安時代の楽器なんて・・・
過去にも何度か書いたが、神道の結婚式でかけられる音楽「越天楽」、
雅楽の代表曲だが、この出典は断じて仏教音楽である。


(宿泊近辺のマップ)

私が宿泊した旅館は、眼前に美しく流れる宇治川を臨み、
岸の向こう側とこちら側には、世界遺産の宇治上神社と平等院。
ついでに宇治川では、時期によっては鵜飼が行われるという風光明媚な所。
この宿では、築地小劇場の小山内薫が結婚式を挙げたとか・・・。
少し古すぎるが、この発想になるのも工場長の挙式が迫っているからであろう。
私は、主賓の挨拶なんて経験がないし、格式高くも喋れない・・・困った。
あっそうそう、工場長夫婦は少なからず芝居と縁があったので思ったのだった。
旅館に泊まって、座布団の正面や表裏がきちんとしていたのは久しぶりのこと。
(貧しいので、高い旅館には滅多に泊まりませんから)
由緒正しい旅館であった。


(落ち着いた旅館のロビーです)

ぐっすり眠って翌日は司会研修会。
今年最初の研修会なのだが、詳細については記述しません。
ただ、京都という土地柄か、特殊性が滲み出ていまして驚きの連続でした。
また仏教に関して詳しくない所が東京と同じです。
東京もあらゆる宗派が混在しているからこそ、とても覚えられない。
状況としては、京都も似ているような気がしました。
差上を覚えるという意識がありません。
この点、地方へ行けば宗派が限定している地域が多く、親しみやすいのです。
分からないものですなあ。

今年もパワーポイントを使いっぱなしで行きましょう。
とは言ったものの少し反省をしています。
パワポを8時間使い続ける研修なんて、滅多にないよと言われたからです。
そこでハタと気付きました。
確かにその通り、ノーパソだって充電して6時間とかが普通ですから。
少し、今後の事は考えなければなりません。

研修に参加された皆様、お土産も宿題も沢山ありますから頑張ってください。
今後に期待しております。
K社長大変お世話になりました。
そして皆様、お疲れ様でございました。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2010年03月09日 09:00

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