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2010年03月25日

本来の仏教のお話 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

日本の仏教は大乗仏教といって、インドから中国を経て日本に伝播したものです。
大乗仏教に対して小乗仏教というのがあります。
実際は小乗というのは差別的な意味合いがあるので、
正確には上座部仏教という呼び方になります。
大乗の意味は、大きな船に乗って皆を救うというような意味合いがあります。
上座部仏教は自己の利益を最優先にしていて、厳しい修行を課さなければなりません。
そして日本の我々業者が交流のある仏教は鎌倉仏教以降の仏教に限られ
大乗仏教なのですが、具体的には天台宗・真言宗・浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・臨済宗
・曹洞宗など、開祖(祖師)が存在する【宗派仏教】と呼ばれるものです。

初期の、或いは本来の仏教は「信仰などはいらない」という驚きの立場なのですが、
こうした宗派仏教では、開祖(祖師)を崇拝し信仰しなければなりません。
ただし、初期の仏教というか本来、お釈迦様は信仰に反対しておられます。

仏教は【誓願】というのは認めていますが、これは信仰や祈ることではなく、
自らに誓って願いを立てることです。
自分自身に対して、達成目的を明確にすることでしょう。
ただ祈っているだけで実現することなど、絶対にあり得ないとお釈迦様は教えています。
自分で努力をしなければ、何も解決しないと・・・。

ところで、仏教徒から見て一神教の神は、
例えばキリスト教・ユダヤ教・イスラム教などですが、
絶対神という考え方に疑問を持つはずです。
仏教の基本は、全て無常ということですから、普遍的で永遠の存在は否定しています。
全ては移り変わるものなのですから、絶対的で変化しない神というのを否定しています。

何か話が纏まりませんが、我々の仏教は大乗仏教の中の【宗派仏教】であり、
本来、お釈迦様が「祈りに意味なんかない」と仰っていたのにそれをやっていたり。
結果として、訳が分からない事をやっているのでは・・・と疑問も浮かびます。

私は浄土真宗の本願寺派に属していますが、仏教的に「他力本願」というのは、
人任せや、他人の力に頼ることではなく、精一杯出来る限りの努力をして、
その上で人の力ではどうする事も出来ない部分では阿弥陀様にお任せするという・・・
他力とは、まさに阿弥陀仏の力=働きを言ってるのです。
何だかとても難しいですね。
では。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2010年03月25日 09:00

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