初期の、或いは本来の仏教は「信仰などはいらない」という驚きの立場なのですが、
こうした宗派仏教では、開祖(祖師)を崇拝し信仰しなければなりません。
ただし、初期の仏教というか本来、お釈迦様は信仰に反対しておられます。
仏教は【誓願】というのは認めていますが、これは信仰や祈ることではなく、
自らに誓って願いを立てることです。
自分自身に対して、達成目的を明確にすることでしょう。
ただ祈っているだけで実現することなど、絶対にあり得ないとお釈迦様は教えています。
自分で努力をしなければ、何も解決しないと・・・。
ところで、仏教徒から見て一神教の神は、
例えばキリスト教・ユダヤ教・イスラム教などですが、
絶対神という考え方に疑問を持つはずです。
仏教の基本は、全て無常ということですから、普遍的で永遠の存在は否定しています。
全ては移り変わるものなのですから、絶対的で変化しない神というのを否定しています。
何か話が纏まりませんが、我々の仏教は大乗仏教の中の【宗派仏教】であり、
本来、お釈迦様が「祈りに意味なんかない」と仰っていたのにそれをやっていたり。
結果として、訳が分からない事をやっているのでは・・・と疑問も浮かびます。
私は浄土真宗の本願寺派に属していますが、仏教的に「他力本願」というのは、
人任せや、他人の力に頼ることではなく、精一杯出来る限りの努力をして、
その上で人の力ではどうする事も出来ない部分では阿弥陀様にお任せするという・・・
他力とは、まさに阿弥陀仏の力=働きを言ってるのです。
何だかとても難しいですね。
では。