その日は午前中に一時危ない状態になり母と病院に呼ばれました。
しかしながらそのときは一旦落ち着いて、私たちを待っていてくれました。
いつもの病室の光景でした。
私はその時も耳元で父が好きなフランク永井を歌いました。
昨年の大きな発作で話すことが出来なくなった父には、
いつもこちらから一方的に何かを伝えるだけでした。
でもいつも「ウン、ウン」と答えてくれて、
ちゃんと聞いていることは分かっていました。
「お父さん、こんにちは」「お父さん、大丈夫?」「お父さん・・・」
と言いながら私はいつも父の頭を「いいこ、いいこ」しました。
父は目を細めてうれしそうな顔をします。
それがいつもの父と私のスキンシップでした。
その日も1時間ほどのそんな時間を持ち、
研修会テキストの作成があったので家に戻りました。
母は、ずっとそのまま父の側に残っていたようです。
死去後「いつもならとっくに帰る時間だったのに、
あの日は何だか、帰れなかった・・・」と母は言いました。
父が引きとめたのでしょう。
その夕方6時過ぎ、母に見守られながら、父は静かに息を引き取りました。
人の最期というのは、突然やって来るのですね。
遺される私たちにとってもそうですし、
旅立つ父にとってもあっけない最期だったのではないでしょうか。
悲しかったです。
母も私も人目もはばからずに泣きました。
でもその最期の瞬間まで精一杯に生きた父を祝福したい気持ちの方が強かったです。
今、父の葬儀を終えて、ひと月が過ぎようとしています。
現代に生きる私たちはとても忙しく、
このひと月の間には3回の出張と知人の結婚式、次男の卒業式 etc.
私にとっては「喪に服す」なんてやっている暇はありませんでした。
葬儀を終えて2週間ほどは、フワフワと雲の上を歩いているような状態が続きました。
やっと3週間ほど経った頃から、色々なことが考えられるようになり、
葬儀のことを思い出せるようになりました。
でも父の死を頭では理解していても、心はまだこの現実に着いて行けません。
今、仕事の合間に父の死後の様々な事務処理を、母を支えながら実行しています。
父はたいしたものを遺しているわけでもないのに、
出生から死亡までの戸籍や、私たち兄妹の印鑑証明やら何やら、
求められている書類を取り寄せながらそれらの対応に追われています。
死後の多くの手続きは、悲しい心をさらに疲弊させます。
でもこれをすることで、母も私も父の死と向き合っていると感じます。
大変な作業だからこそ、遺された私たちの手で、やらなければいけないと強く思います。
今、ようやく様々なことを私たち家族のグリーフワークとして受け入れ、
越していくスタートラインに立ったところです。