新聞記事によると、「花園ペット祭典」という業者のようだが、
火葬施設は持たずに火葬を別の業者に委託していたため、
葬儀での1匹あたりの利益はわずか千円程度だったそうだ。
この「利益」が粗利益なのか営業利益なのかわからないが、
容疑者の経営資質が足りなかったことは確かなようだ。
こういう事件があると、「葬祭業は信用ならない」という事になりかねない。
ただでさえ、雑誌や書籍などから「料金が高い」と煽られている業種。
サービス業の中でも、葬儀のことは普段あまり考えない欲求の低いサービスなので、
あまり葬儀の事を知らない顧客と施行業者の信頼で成り立っている部分もある。
この種の事件が全国紙の社会面に載ると、その信用が少なからず揺らぐ懸念がある。
個々の葬儀業者が真っ当に仕事に対する責任を果たしていても、
最初から顧客から疑いを持った目で見られるようになってくる…。
最近よく思うのだけれども、日本は葬儀に対して国が関与しなさすぎる。
アメリカでは、各公的機関に葬儀価格を提出し、市や州も葬儀を監視・管理する。
また、アメリカの葬祭ディレクターは国家(州)資格で、
葬儀をするにはこの資格が必要となる。
フランスでも葬儀は福祉の一環として、
料金やサービスの規定が厳しく設定されているそうだ。
一方で日本では、公的機関に葬儀価格を提出する義務はない。
(代わりに、葬儀価格を監視する民間業者は出てきたけれど)
また、葬儀を施行・開業するにあたって、必要な資格もない。
葬祭ディレクターという資格はあるが、
あくまで厚生労働省の認定審査試験で、必須資格ではない。
葬祭サービスに従事する人材の資質を上げる資格ではあるのだが、
付加的な要素に過ぎず法的な効力は無い。
葬儀は、日本では自由な市場と言えるかもしれないが、
その自由によって、顧客が葬儀に対して不安や疑心を抱く結果になるのなら、
国家がもっと葬儀に関与した方が良い。
福祉という観点で見ても、十分に国家が葬儀を管理する意義があるだろう。
真似が得意な日本が、どうして葬儀の制度を諸外国から真似できないのだろうか。
葬儀業界における業者と顧客との信頼関係は、国家的な財産だと思う。
その財産は、私が葬儀業界に入ってきた時からも低いものだったとは思うが、
今回のような事件が起きる度に下降していく。
その信頼を回復をするのに時間が掛るし、「大丈夫なのか」「信頼できるか」といった
顧客の声に対応するのに葬儀業界全体でコストも掛っているだろう。
国や県が葬儀を管理しても、このような事件は起きるだろうが、
現在は、国の葬儀に対する姿勢や態度が欠けているように思う。
葬儀に対する「信頼できない」「価格が高い」といった議論から脱却し、
葬儀自体の意味や価値、歴史や文化などを深める議論を発展させたい。
PS.
今日の朝、テレ朝の「スパモニ情報局」で、
葬祭ディレクターの情報を流していましたね。
明日から、今年の受験受付が始まります。
受験される方は、お早めにお申し込みを。
葬祭ディレクター技能審査協会