被告への同情の余地が大きい事件だった。
長男が自殺を図ると言う衝撃的な事実。
さらに、生命を維持するのに高額(500万円以上)な医療費がかかるのに、
自殺未遂の場合は健康保険が適応されないことを聞かされる。
長男には家族があり、妻や子供がいる。
「長男の妻や孫をこれ以上苦しませたくない」
その思いもあり、長男を刺殺する犯行に至った…。
「法廷にも答のない事件」、そう新聞に書かれていた。
弁護人は「この事件に悪者はいない」と述べている。
善悪の構図がハッキリしない裁判では、
尚更、命に対する倫理感に悩まされるのだろう。
この事件は裁判員制度が適用されたが、
命や死に関わる問題に関して一般人が善悪の線引きが難しいことが、
改めて実感できる。
同じ日の新聞記事に、
日本、韓国、台湾の僧侶や仏教徒が交流する東アジア国際フォーラムが、
4月5~7日、築地本願寺を中心に開かれたとあった。
現在、仏教・寺院が衰退傾向にあるのは日本だけでは無く、
台湾でも4大宗派以外の寺院が存続の危機にあるそうだ。
そこで「仏教の社会との関わり」が主なテーマとなり、
社会における仏教のあり方を再考する場としてフォーラムが開かれた。
事前に知っていたら、是非参加してみたい場だった。
日本では、明治時代以降、
天皇の改宗や廃仏毀釈、住職の妻帯を境に仏教の衰退が始まった。
政府(幕府)からの庇護がなくなった後、
京都の寺院や川崎大師のように観光面で収入のある寺院もあるが、
ほとんどが葬儀関連で生き残ってているように思う。
フォーラムでは、日本の寺院の役割が仏事中心になっていることに触れ、
「葬式仏教と揶揄されている」と自省の言葉も出ていたそうだ。
しかし、葬式仏教だからこそ命や死の問題に対して敏感になるという事もある。
フォーラムの中では、同性愛者が直面する葬儀や納骨の問題」を指摘。
故人が同性愛者と公にしていない場合、
残されたパートナーは従来の「家」単位の葬儀に参列できず、
同じ墓に入りにくいという。
現代の多様な価値観の中では、
命や死に関する問題において、社会的に迷いが生まれるものが多い。
そのような問題を深く考え、一般大衆に答えを出す機関の一つが宗教だと思うが、
日本の仏教にも期待したい。