私がグリーフワークという、この言葉を知ったのは、
第一回葬祭ディレクター試験を受験するので(16年前か)葬儀概論を購入し、
夜な夜なペットの中で頁を捲り「分厚い本だなあ・・・重いなあ」と、
勉強ともつかぬ勉強をしていた頃、精神科医のキュープラー・ロスが出した、
死ぬことに関して臨床の経過を纏めた本「死ぬ瞬間」「続死ぬ瞬間」が、
葬儀概論に紹介されていたのが最初だった。
彼女は、初めて『死の受容プロセス』を提唱したのだ。
私は読売新聞社刊(だったと思う)で出版されている本を読んだ記憶があるが、
(現在は文庫でも出版)印象としてはあまり良いわけではなかった。
死の間際にある患者とのやりとり・・・つまり臨床なんだけど、
それは葬儀を行う側から見れば大事なことだけど、フォーカスがズレている気がした。
勿論、大変参考になるお話であったが、それでもストンと胃の中には落ちてこない。
あくまでも、遺族の話というよりは、当事者サイドの話が中心ではなかったか。
今、葬儀でグリーフワークという言葉を使う場合、
故人ではなく、遺された遺族の<ケア>のことを言うはずだ。
では具体的に、その<ケア>の中身は何を指しているのだろう。
精神的ケア、肉体的ケア、金銭的ケア、医療的ケア、法律的ケア、宗教的ケア・・・
まだ他にもジャンルはあるかもしれない。
例えば、エンバーミングの先生は言う。
「医療的ケアはとても大切です。故人と向き合える時間を確保出来る遺族は幸せです。
故人の身体に直接触れても安全ですし、元気な頃の姿に戻って最後のお別れができます。
それは遺族の精神的ケアにも繋がります・・・云々」
なるほど、エンバを切り口として医学的にもケアをするし、
その上で精神的ケア、肉体的ケアにも繋がるのだと。
また専門知識を有していれば・・・具体的には遺体を見ただけで(検視みたいに)、
遺族にとってこの遺体はドライ処置では医学的に危ない可能性があるとかまで・・・
十分なケアすることが可能なのだと。
例えば接遇の先生は言う。
「遺族の気持ちに寄り添って(共感して)ください。優しく見守ってあげて下さい。
普段は気にも留めないようなちょっとした雑音にまで気を使い、
相手の為に誠心誠意尽くして下さい。問い合わせや受注時の電話から気を使い、
見積もり時の故人の呼び方など、葬儀の際に心ない言葉を掛けないでください。
そうすることで、少しは遺族の悲しみが軽減されるはずです・・・云々。」
なるほど、接遇が切り口なんだけど遺族の精神的ケアを中心に、
その上で肉体的ケア、時には金銭的ケアにまで及ぶサポートをすると。
例えば良く出来た、極稀な僧侶は言う。
「私は僧籍を有していますが、グリーフの勉強のため学校にも通いました。
これからはグリーフサポートと宗教の2面から、遺族のケアをします・・・云々」
とても立派な事を仰る僧侶ですが、僧侶は本来グリーフ・・・つまり悲嘆の専門家、
であるべきではないのかな・・・と意地悪く思ったりもします。
…つづく。