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2010年05月19日

何かと言えば「グリーフワーク」②(井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨日、三つほどグリーフワークに関係する拙い例を出しました。
ここで言うグリーフとは、全て故人に対して行われるのではなく、
遺された遺族に対して行われるものです。
死んでいく当人には無関心のようで、何かしっくりとしません。
葬祭業に携わる者として、言葉は悪いが片手落ちの印象を持ちます。
葬儀は遺された者たちの為にも行われますが、
同時に死んでいく故人も主役なのですから。

更に言えば、遺族に対する金銭的ケア、法律的ケアなどの処置は、
ほとんど検討されていないという現状があるでしょう。
例えばグリーフを声高に叫ぶ葬儀社であっても、
「基本料金」・「追加料金」・「別途料金」など・・・、
一体総額でいくらなのか、いくらで収まるのか。
こんな時代だからこそ、遺族の心配ごとの一つに金銭的不安があり、
そのケアはグリーフケアには含まれないのか。
料金を安くしろというのとは別次元で、価格を明確に出しましょう。
それは、立派なグリーフケアの一つです。
業界を挙げてグリーフワーク・グリーフケアに取り組むならば、
遺族の金銭的不安を取り除くすべは、「基本料金」・「追加料金」・「別途料金」など
という言い方はせず(寧ろ法的に規制して)<葬儀料金>これ一本で行きましょう。

また、最近週刊誌等でも取り上げられブームにもなっている遺言や相続のケア。
これについても立派なグリーフケアの一つなのですが、
かつての葬儀社は、揉め事系には積極的に関わりませんでしたから、
その名残でしょうか、今でもその傾向は強いと思われます。
しかし、もっと積極的にケアしていかないと、遺族の希望なんですから。
そして場合によっては故人の遺志なのですから。
これにしても個別に取り組むと言うより、団体で真摯に取り組むべきです。
お茶を濁す程度ではいけません。

また僧侶は、お布施について、戒名(法名)についての不安を取り除くべきだし、
葬式仏教からの脱却を目指すべきだし、寺院の在り方について考える時に来てるし、
自分が学校へ行ってグリーフの勉強したのは良いが、役に立っているのだろうか。
地域住民のグリーフを支えていたはずなのに、という自覚はあるのか。
宗教で世界を救うなら、紛争地はいくらでもある。
どうせいつかは死ぬ運命と平和を訴えに行ってくれる人はいないのか。
困っている人、津波にあった人、地震にあった人、
理不尽な戦争に巻き込まれている弱者をテレビで見ているだけで・・・

あれやこれやと難癖を付けて、色々と悪い事ばかり申しましたが、
人は死ぬのが運命だから、過去からずっと死んできました。
それは将来においても、きっと変わらないでしょう。
今になって何故?とも思うが、グリーフワークという言葉が流行っている。
顧客確保の為の言葉として使うようだったら、業界はお終いでっせ。

この真新しい(20年近くの)言葉が、今後の業界の主流となっていくのだろうか。
そう言えば「宗教」という言葉だって、明治になって・・・だから約150年前、
日本で造語として作られ席捲している。
その宗教だが、現在の日本人は・・・ナ・ナント「無宗教」の人がほとんどらしい。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2010年05月19日 09:00

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