そんな僧侶に限って「使い古した俗名はこの世の塵で汚れています。生まれてくる赤ん
坊に命名するように、新たな世界へ往生するホトケ様に相応しい名前を・・・」
そんな感情論で遺族を手玉に取る・・・これは彼が考えたと言うより、そういう本が
(法話ネタの本です)販売されていて、そのまま喋っているだけなんですけど、
お爺さんやお婆さんはコロっと騙されます。
僧侶が年寄り誤魔化して「オレオレ詐欺」じゃないんだから悲しいよ。
これじゃグリーフワーク・グリーフケアなんて夢のようだ。
(中には立派なご住職もいらっしゃいます)
葬儀概論に拠れば、戒名は(法名・法号は少し違うので、機会があれば)、
仏門に入り、「戒律・戒」を守る事を誓った者に与えられる名前ということなのですが、
ではその「戒律・戒」とは、何なのでしょう?
宗派毎に多少は違いますが、第一不殺生(生き物を殺さない)、
第二不偸盗(盗みをしない)、第三不邪淫(性交をしない)、第四不妄語(嘘を言わない)、
第五不飲酒(酒を飲まない)・・・だったりするのですが、
戒を授ける導師自身が、破っていることが多いのは誰にでも判ります。
明治の5~6年頃、寺院も結婚してよいという法律が出来るのですが、
これは神道を国教にしようという明治政府の考えで「僧侶を俗物に落とす」
意図があったのは誰しもわかります。
それなのに僧侶は、あっさりと受け入れてしまい、お寺で結婚している。
不思議で仕方ありません。
だって数は少ないですが、女性の住職(尼僧)は、殆ど独身を通しているはずです。
そんな昔の話をしなくても、近所の住職を見れば、
酒を飲むし、嘘も言いますし、刺身だって食いますよ。
その住職から、受戒を授かるとは・・・おかしい。
会社だったら通らない話です。
宗教的に「戒名料」という言い方は、お布施の観点からすればおかしいのだが、
戒名を単にお寺の収入源と捉えている寺院がこんなに沢山あるのだから、
問題の根っこは相当深いよ。
<余談>
日本で最初に結婚した僧侶は親鸞上人である。
その事に対して色々と言われるだろうが、このことを述べる時、
僧侶の男色(特に稚児)の話抜きには考えられないのではないかと思う。
問題が暗すぎる、重すぎる。