時代の変化に応じる形で、講座には変わっていく部分と変わらない部分がある。
私の感覚でいえば、3~5年単位で変化の兆しがはっきり見て取れる。
その都度、少し遅れたかな・・・と思い反省して見たり、
今回の修正はベストタイミングだ・・・などと思ったり。
講師をやらせていただいたお陰で、学ぶモチベーションは維持できたと思う。
主催してくださる綜合ユニコム様には、大変感謝申し上げたい。
反省していることは、研修会を始めた当初、30代の若さで偉そうにしていただろう。
全国からお集まりくださる受講者からみれば、
「若造が生意気に・・・」「意見が・・・」「うちの地域のやり方とは・・・」
と思われた方も多いはず。
押さえつけるような教え方ではなく、
もっと他に指導の仕方がなかったかと反省しているが、
所詮は人間の器が表れていたに違いない。
歳をとることで、また一つ見える事もある。
(こいつが悪い奴でっせ)
今日は、講座の中で話すお話(無駄話です)をしたい。
忘れているものが多いが、最近ふっと思いだして話している・・・というのも、
私が若い頃人材としてお世話になった会社からの参加者がいると、
嬉しくて仕方がない・・・と同時に思い出が蘇るのだ。
随分以前の話だが、水蝋燭が流行ったことがある。
水の中にポカンと浮かぶタイプの蝋燭である。
これを前机(経机)に一対セットするのだが、だだの水ではつまらない。
祭壇の花とのカラーコーディネイトもしたかったし、
そうじゃなくても単純に、もっと綺麗に飾ってみたくて仕方がなかった。
蝋燭の周りの水に色を付けるには、というテーマでチャレンジしたお話なんだけど、
まずはバスクリンを・・・まろやかな良い匂いがして失敗、露骨にバスクリンだと判る。
次に挑戦したのは、リキュールだ。
結構高価だった・・・というか私はリキュールに凝ってしまった。
我が家でのシェーカー振りは板に付いていた。
が、これも失敗・・・お酒は簡単には落ちませんし、アルコールの匂いがする祭壇って。
(これについては、使い道はあるのだが、ボピュラーではなかった)
そして次がファンタグレープやオレンジ・・・勿論失敗。
考えただけで判る筈だが、どうしても人間は「もしかしたら・・・ひょっとして」
と一縷の望みを掛けてしまうものだ。
いよいよ駄目か、と思われたその時。
お供えの団子を作るため上新粉を買いに走ったコンビニで、発見したのだ。
上新粉を買いに走るべきだろう・・・ってんだ。
何を発見したかって、ジャーン「食紅」の類なのよ。
つまり合成着色料があれば、当然色の三原色(赤・青・緑)も揃っていて、
どんな色でも出すのは自由自在、まるでドラえもんの4次元ポケットだ。
・・・とまあ、つまらない話なんだけど、思い出すのです。
とある参加者の会社では、よく駐車場係をやらされました。
25年前の話ですよ(懐かしい思い出です)。
早く俺も仕事に慣れて、式場の中で仕事がしたい・・・と思ったものです。
そもそも人材ですから、どこへ行っても一番下(当時はですけど)。
その日にコンビを組む社員が出す指令に反論はできません。
(私は、一番反論している方でしたが)
我々は辛い現場へ回されがちだったのですが、毎回トラックに全てを積んで待機。
出発して現場へ着いたら、脚立・画鋲・幕・銀敷を会場へ運び先輩が幕張をします。
「俺も偉くなったら、絶対幕張してやるぞ・・・」(楽そうに見えたのです)
先輩が幕を張っている間、我々はひたすら祭壇を運び、組み合わせて飾り付け、
要らなくなった箱は全てトラックへ・・・。
当時、絶対に幕を張る方が楽だと思っていました。
何年かして、いや何年も掛りませんでしたが立場が逆転し、私が幕を。
想像していたのとは随分違い、特に高い場所は暑いし・・・。
どの仕事も大差ない・・・と身にしみて感じたわけでございます。
20年以上前の事です。
参加者の話も書こうと思っていたのですが、すいません話が長くて。
どうやら書けそうにありません。
ご出席くださった皆様、大変お疲れ様でございした。
皆様が研鑽を積まれて益々上達されることを願っております。