そして今回は、表題の通り「阿鼻叫喚」という言葉。
「阿鼻叫喚」とは4文字熟語で、「阿鼻」と「叫喚」から成る。
「阿鼻」は仏教で説く八熱地獄の無間地獄。
現世で父母を殺すなど最悪の大罪を犯した者が落ちて、猛火に身を焼かれる地獄。
「叫喚」は泣き叫ぶこと。
つまり、阿鼻叫喚とは、非常な辛苦の中で号泣し救いを求めるさま。
地獄に落ちた亡者が、責め苦に堪えられずに大声で泣きわめくような状況の意から、
非常に悲惨でむごたらしいさま。
・・・うむうむ、何となく分かっていた。
ただ、源信和尚の「往生要集」を手にとってみて色々と考えた。
葬祭ディレクター試験の勉強にも関係しているので、かいつまんで復習を。
源信和尚は、朱雀天皇の天慶5年(942年) に奈良県に生まれる。
幼くして比叡山に登り、忽ち(たちまち)にして英才の誉れを得る。
しかし、母上の厳しい誡めを受け、
その後は名利を遠ざけて横川(よかわ)の恵心院にこもり、
只管(ひたすら)、仏道修行に励んだ・・・と、
私が習った中央仏教学院の「真宗1」の教科書に載っている。
※余談だが、忽ち(たちまち)や只管(ひたすら)は、知っていたら葬祭Dに有利。
彼の著述は八十部以上に及んでいるらしいのだが、
代表作は何と言っても、「往生要集」三巻・十章である。
源信和尚44歳の時の作品だ。
今、文庫になって私の手元に「往生要集」がある。
千年の時を跨いで、文庫という形で手に入る。
素晴らしいことではないか。
で、その本の最初の項目が、<厭離穢土門>というのだが、
地獄の様子が事細かに、まるで地獄を訪れてきたように、
本人が見てきたように、詳細な記述で書かれているのだ。
※厭離穢土とは、この汚れた娑婆世界を厭い離れること。
恐らくこの本の人気が高かった理由は、地獄の様子に起因するのではないだろうか。
地獄は、源信和尚によって八つに分類され、
その4番目が叫喚地獄、そして5番目が大叫喚地獄の様子が描かれている。
「阿鼻」は梵語「アヴィーチ」の音訳で、
漢訳では「無間地獄」つまり絶え間なく苦しみを受け続けると言う地獄を指している。
「叫喚」は梵語「ラウラヴァ」の漢訳「ラヴァ」とは叫び声の事を差し、
叫び声を上げるほどの地獄を指している。
つまり、どちらも地獄の名前なのだ。
何気なく使っている「阿鼻叫喚」という四字熟語。
源信和尚の「往生要集」に起因するなんて、なーにも知りませんでした。
<余談>
「往生要集」は、寛和年間日本に来日した宋の周文徳に贈られたところ、
広く中国の各地に流伝せられ、源信和尚は「日本の小釈迦源信如来」と、
大変な崇められようだったとか。
<余談>
試験にも度々出される、25人の僧が結集して結成された念仏結社である二十五三味会。
もちろん源信和尚を中心に極楽往生を希求する念仏結社であり、
毎月15日に集り、僧衆25名が念仏を誦し、極楽往生を願った・・・のだが、
要するに源信和尚は「本当に阿弥陀如来はお迎えに来るのか?」
と思っていたフシがあり、死の際の僧侶(結社のメンバー)の耳元で
「如来は来たか?」
「今、何が見える?」
と、必死で確認していたらしいのだ。(フッフフ)
やはり、地獄も見てきていないし(いや、もしかしたら・・・)
阿弥陀如来の存在も・・・相当気になっていたようだ。
こういうの人間らしくて私は好きだ。
ではまた。