先日、毎日新聞の「住宅の役割を考える」という記事を読みました。
リビングで家族が団欒をするといった、
サザエさん的な昭和の発想は捨てたほうが良いと書かれていました。
確かに、パソコンや携帯電話などの情報機器が発達し、
個人の情報を少しずつ記録するにしたがって、
いつの間にかインターネット上に生活圏ができている気もします。
家の中にいても、パソコンをつけている時間は、
あたかも「外にいる」ような感覚でしょう。
記事を少し引用すると、
「家の役割とは何か。かつては農業や商業、職人の仕事場。
生死と冠婚葬祭の場。もちろん食と性、子育ても。
しかし今や、住から職、生死、冠婚葬祭は分離した。
弁当は家から外へ持ち出していたのが、外で買って持ち込んでいる」
と書かれています。
家の役割が時代とともに変わっていることを再確認させられます。
かつては冠婚葬祭も一般的に家で行われてきました。
今では、その家の役割も減りつつあるようです。
現代の流れは、「集団」で助け合うことから、
「個人」で自立する方向へと向かっています。
「人は一人では生きられない、助け合う」社会から、
「一人でも不便なく生きられる」社会へ発展しているようです。
地縁や近所付き合いも、希薄になっています。
様々な地域サービスが発達して、
住民同士の相互扶助の必要性も、薄れてきているからでしょう。
(高齢者には、まだ必要だと思いますが)
周囲とのお付き合いや関係が薄れていく中で、
今では家庭内でも孤独になっていく。
現実でのお付き合いが希薄になる一方、
インターネットでのコミュニケーションで孤独が紛らわされる。
…便利になるということは、こういうことなのでしょうか。
数年前から、特に都心部では、葬儀の参列者が減少傾向にあります。
その傾向からも、人々同士のお付き合いの関係が薄くなっていることがわかります。
葬儀は縮小化されて、いわゆる「直葬形式」も増えているようです。
この傾向は、しばらく続きそうな予感がしています。