皆さん、こんにちは グリーフカウンセラーの加藤直美です。
ようこそ、お出でくださいました。
今日はまず、葬儀のお客様であるご遺族の、
「心のケア」についてのお話をさせていただきます。
「心のケアー」とは、もちろん、
これから何かがあったときのための心構えとも言えます。
その中でところどころ、具体的なお葬式のお話についても触れて参ります。
よろしくお願いいたします。
まずは、「遺族の心のケアー」とは、何かということです。
人間の「喜怒哀楽」の中で、哀しみほど辛いものはありません。
人にとって、身近な方の死は「想定外の出来事」です。
子供は、親はいつまでも元気で生きているものと思っています。
私だってそうです。人は、生まれた順番に召されるとも限りません。
年老いて亡くなる方も、いらっしゃれば、
事故や事件など、「ある日突然・・・」という方もいらっしゃいます。
命は、永遠ではないのです。
みんな平等に、いつかは天国に召されるときがやって来るのです。
生きていると、自分ではどうしようもないことに遭遇します。
特に、身近な人の死は、「人生は、思いどおりにはならない」ということを
私たちに突きつけます。
私は三ヶ月前に、84歳になる実の父を見送りました。
親を亡くすのは、初めてでした。
親を見送るということが、これほど悲しいことか・・・ということを知りました。
身近な人が亡くなって、悲しみ、嘆くことを「悲嘆」といいます。
本当に悲しいときというのは、涙も出ません。私がそうでした。
頭の中は真っ白、心は乱れて、言葉も失いました
1)遺族が抱える「悲しみの期間」(わたしの場合)
私たちが、父を見送ることによる「悲しみの期間」は、
大きく分けると3つに分かれます。
①病気療養中(病気で亡くなる場合、看病をしながら、最後の時間を過ごす)
②死去~葬儀(突然死の方は、ここからになるので、心理的負担は計り知れません)
③葬儀後(その方によって悲しみの深さは様々です。他人と比べることはできません)
父の病気療養中は、容態悪化~亡くなるまでの期間です。
倒れて「もう、長くはない」といわれてから亡くなるまでの1年間は、
「どうなるのかという」不安な日々を過ごしました。
それは私たち家族にとって、「予期的な悲しみ」を抱える期間でした。(予期悲嘆)
「もう、長くはない」と聞かされたときから、
その死を予感するような悲しみが、母と私を襲いました。
その期間、治療方法、病院の転院、治療費に関して、延命治療についてなど・・・
父の命に関して、考えなくてはいけないことは、たくさんありました。
その中に、お葬式という心配事もありました。
最初に危なかったとき、葬儀屋さんに生前相談をしました。
実際には、最初に相談をしてから、1年以上をかけて、
具体的なことが、決まっていきました。
まず、どんなお葬式にするのか・・・。
色々と相談をしているうちに、
私たちは、父を、どう見送りたいのか、父のお葬式では何をしたいのか、
父の人生は、どんな人生だったのか、
父と私たち家族の関わりは、どうだったのか・・・ということを考えはじめました。
父が亡くなる前に、少しでも葬儀屋さんと相談したことが、
「今、このとき父と、家族の私たちは、どのように過ごすのか・・・」という、
父の終末期の、家族の過ごし方を考えることにもつながりました。
この期間の悲しみは、なんともいえない感情です。
父は生きている。でも死んだときのことを考えなければいけない。
そして、そんな話が出来るのは、実は、本当に近い身内と葬儀屋さんだけでした。
思い切って話をすることで、気持ちが楽になりました。
「いざとなった、その時のことを考えていてもいいんだ」と自分を肯定できたこと、
今、本当に大変だという心境を誰かに聞いてもらえたこと・・・
親身になって聞いてくれる葬儀屋さんだったからこそ、
それが出来たのかもしれません
父を見送る前の期間で、私たち家族の「心のケア」が何だったのか・・・と言ったら、
※心配なことを話せる場所があったこと
(病院のソーシャルワーカー、宗教者、カウンセラー)
※お葬式のことを具体的に考えられたこと(葬儀屋さん)でした。
そして、父は亡くなりました。
ここからは本当の意味で、
悲嘆者として悲しみの心をケアーしなくてはいけない期間です。
ここで1回目の「ショートブレイク」として、
日本の歌から「夏は来ぬ」を皆さんと歌いました。
つづく