葬祭関連のセミナーでも余談で話しているのだが、
知識や情報というものは、生きていく上での<引き出し>である。
葬儀関連の仕事に従事しているのであれば、
業務関連の<引き出し>の中に、何がどれだけ詰まっているか。
些細な知識から重要なものまで、必要に応じて取り出せるのか。
特に新人を集めた業務教育の中では、
知識や情報を持っている分だけ自信を持って仕事に携われるから、
恥をかく前に、積極的に知らないことは知ろうと努力しなさいと言っている。
だが、誠に残念なことに、葬祭に関して先輩はあまり当てにはならない。
経験値として教えてもらうのは良いけれど、知識となると疑問符がつく。
さりとて僧侶も・・・総じて言えばあまり当てにはならないだろう。(個人の意見)
葬祭は広範囲な知識が求められ、結果、難しく時間もかかる。
具体例を挙げれば、明治に至るまで天皇家のお葬式は仏式で執り行われていた。
天皇家の菩提寺は、真言宗の泉涌寺であった・・・
あるいは、伊勢神宮に祀ってある天照大神が天皇家の祖先だとなっているから、
我々日本人は弥生人を先祖に持っているということか。
だって出雲大社の大国主命は縄文人の神様だから、神社本庁に属していないし、
お参りの仕方も違うから・・・などが代表例だろうか。
「知らない」と思えるのは、物凄いエネルギーなのだ。
気にもならなくなったら・・・おしまいである。
ネットで調べよう、今なら携帯の辞書機能でも十分ではないけど調べられる筈。
業務中に自分の周りを見てみよう。
どれだけ知らないことがあるのか、書き出してみよう。
新人の時の業務への取り組み方こそが重要なのだ。
習慣として「知らない」ことを「知る」という行為は、とても大切なことである。