さてさて、研修後の私は山形駅から家族が泊まっている天童駅へ移動。
日本将棋連盟のプロテストに落ちた私がいうのも何だが(大嘘)、
天童は将棋の街だって知ってた?
あっ・・・またまた古い話を思い出した。
亡くなられた石立鉄男さんが、将棋が大好きで強かった。
僕も若い頃、お相手をさせてもらったが連戦連敗で・・・歯が立たない。
石立さんが中座した隙に少しだけ駒を動かしてみたけど、
「あれー、君そんなことするのー」と言われて、
「どんなことかなー」と洒落てみたけどダメだった。
結局、駒落ち対決になり・・・それでも惜敗した。
最後の最後の局面で踏ん張っていると「大工の偉い人誰だっけ」と聞いてくる。
彼は「投了」と「棟梁」をかけて「とうりょう」と言わせたかったのだが、
それが分かった私は「親方」と言って譲らなかった・・・楽しかった。
天童ホテルに泊まった。
と言っても、私は夜の7時半頃到着して翌朝の10時にはチェックアウト。
いつもとあまり変わらないサイクルだ。
このホテルもブライダルをやっていて、聞いたところ東北では唯一、
チャペルと出雲大社の分祠が同じ敷地に祀ってあるらしい。
ということは、ホテルの人は滅多にない、素晴らしい土地だ、
と言いたかったのだろうが、こちとらそんなに軟ではないから、
じゃ、キリストなのか神道なのか迷うばかりですなあ宗教的には・・・アハハハ。
(豪快に笑い飛ばしてやったぜよ)
天童をもう一度洗濯致したく候・・・ぜよ。(坂本一男)
「因みに、出雲大社だと四礼ですか?」
「よくご存知ですねえ」
「天理教もそうですよ」
(訳の判らん話になっていきそうだ)
「お詳しいですなあ」
「ブライダルプロデューサーです・・・嘘です」
さすがに、会話は止まった。
市内を流れる川には橋が架かっているが、すべて将棋の駒の名前がついていた。
王将が一番大きな通りだった。
(餃子で有名なお店はなかったが)
因みに、王将と玉将の違いは、能力的には変化はないけど、
一般に位の高い人は「王」を低い人が「玉」を持つのが習慣である。
我が家の息子にいくら教えても、自分は「王(将)」が良いと譲らない。
通りの電信柱には詰将棋が貼ってある。
うんうん唸って立ち停まっているのは私くらいだ。
電信柱に詰将棋なんて・・・天童市くらいのもんだぜ。
天童駅の形も、遠くから眺めれば将棋の駒。
ここまでくれば立派なもので、じゃあ何故将棋の街になったのだろうか?
それは、次回。