一様に「弔う気持ちが薄い事案」を嘆いた記事でしたが、
その原因には触れていませんでした。
分析しようにも、多くの要因が絡んでいるから難しいのでしょう。
現在の葬儀の傾向として会葬者の低下、直葬・家族葬の増加があり、
孤独死や無縁仏も増えているということですから、
弔いや死に対する価値観が変化していることは確かなようです。
そして、恐らくあまり良くない方向に変化しているのでしょう。
言葉が悪いかもしれませんが、葬儀における遺体の「処理」機能さえできれば
良いと考える人が増えているのかもしれません。
葬儀の簡素化傾向は、個々の価値観の変化によるところも大きいでしょうが、
社会的要因(マクロな視点)も考えておいた方が良さそうです。
大きく3つ考えられます。
「不況」、「無縁社会」、「仏教(檀家)離れ」。
不況で葬儀に支払えるお金が限られてくる。
高齢になるにつれて人との付き合いが減り、
故人の近親者、縁のある人が少なくなっている。
仏式葬儀そのものの意義や在り方に疑問が湧いて、
仏式葬儀が「意味のない」儀式として価値を失っている…。
さらにもう一つ、個人的な穿った考えを持ち出すと、
不況なのに高齢者を優遇している社会制度に対する、
無意識の反発もあるのではないでしょうか。
所得に関するデータを出してみると、
日本の60歳、70歳代の人の所有する金融資産の平均は約2000万円です。
日本の40歳代の人の所有する金融資産の平均は1000万円です。
日本の30歳代の人の所有する金融資産の平均は500万円です。
高齢者は、意外と資産を持っている人が多い。
一方、年金を見てみると現在30歳代の人は、支払った年金の6割程しか貰えません。
現在60歳代以上の人は、支払った年金の額の数倍貰えるそうです。
社会全体として、年配者は金融資産を持っている上に、
その金融資産を使わないしわ寄せが、若者に悪影響していると言えるでしょう。
さらに、年金で若者が高齢者へ負担を強いられているのですから、
若者が色々と高齢者のツケを払わされていると考えても、不自然ではない状況です。
今の年配の方が高度成長期の日本を支えてきたのは理解しつつも、
このような社会状況の歪みが影響し、
無意識に親に対する感情に悪影響して葬儀が簡素化している…
と考えるのは、強引すぎでしょうか、やはり。
ま、全体的(マクロ)に考える…という前提です。
社会状況を憂いるだけでなく、
その状況下から出来ることを考えていかなければと常々思う次第です。