しかし、日本にミュージカル文化を根付かせた劇団四季の浅利慶太さんは本当に凄い。
歌って踊ってセリフを喋るなんて・・・自分が演ると思うと、とても考えられない。
歌うだけでも大変なのに、踊るだけでも大変なのに、さらにお芝居までとは・・・。
普段の生活からオーバーな西洋人ならまだしも、日本人にはとても向いていない。
だってお米を食って味噌・醤油文化圏で、伝統的に奥ゆかしい人々が沢山居た筈だから。
それが当たり前の世の中として、脈々と続いてきた訳だから。
そんな日本に、どうしてミュージカルを普及させたかったのだろうか。
そこが凄いと思わざるを得ない。
勿論、ただミュージカルが好きだっただけだとしても、やはり凄いのは変わらない。
昭和20年以降、敗戦後の日本が太平洋の向こう側に意識が行く前、
それまでは中国側を見て行動するのが基本で揺らぐことはなかった。
ところが、世の中の流れが大きく変化したから人々の気質もやがて変化するのだ。
それまで支配していた社会の規範や価値観が変わったからだろう。
ところで、大学の劇研の後輩M君は、確か四季の演出部にいたはずだけど・・・。
まさか君が劇団四季に入るとは思わなかった。
もっと親しくしとけば良かったのに!・・・と30年後に思う。(アホッ)
そもそもミュージカルとオペラは似ているが根本的に違う。
オペラは全てセリフ(台詞)が作曲されているが、
ミュージカルは歌わずに、語るセリフ(台詞)が随所にある。
それどころか、語るセリフ(台詞)による表現から歌唱という音楽的表現に変わるのだ。
現実の世界では有り得ないが、そこには独特の空想的な異次元の世界への移行がある。
そしてダンスが加われば、更に魅力的になって説得力を持ち得るのだ。
現在、劇団四季のシアターは全国10か所程度だ。
1953年に産声を上げた演劇集団のターニングポイントは「キャッツ」である。
1983年の「キャッツ」が日本初のミュージカルロングラン公演を可能にした。
この30年の間、もがき苦しんだはずであろう。
毎月演目が変わるような日本の劇場経営に風穴を開けたのだ。
そして、そのチャンスを逃さず、浅利慶太はミュージカル市場に着々と手を打つ。
チケット販売網の強化でも演劇界を変え、演劇の在り方にも新たな市場を創生する。
例えば、未来のファンを増やすために「こころの劇場」として、
心を育てるという名目で地方の子供たちを無料動員。
今では、各学校の修学旅行での観劇は人気スポットにまで成長している。
将来の観客数の確保という手立てを打っているのだ。
近年では、チケット販売の流通でIT化は当然のことだ。
劇場に行くと、葬祭会館でも使えるものが沢山ある。
例えば、携帯電話の妨害電波を総務省の許可の下で流しているという件。
(記憶違いならごめん)
また、観客席には傘が立てられるように前の座席の後方に設置された輪がある。
その輪に傘を通して立てるというわけだ。
彼の凄さは、その演劇の能力や才能ではなく<政治的手腕>そのものである。
更に浅利慶太の家柄は名家の出身であり、政治家との関係も深い。
葬祭業界にも、このような人物が現れて、業態自体を大きく変えてくれないかなあ。
頼みます・・・南無阿弥陀仏・・・チーン。