この事件・・・日本人から見て、銃社会を非難することは簡単。
しかし世界の事情は、ちょっと違う。
世界では、一般に銃の所持が認められている国が主流である。
日本では豊臣秀吉の刀狩(帯刀権を剥奪する兵農分離政策)と、
昭和20年の戦後の影響(当初は5年ほど警察でも銃所持ができない)が大きいだろう。
日本は特殊な事情をその歴史の中に内包していることになる。
と同時に現在、国に頼りすぎる傾向が顕著で、自分で戦うことを放棄しているようだ。
犯罪に対処するという反射神経が鈍いのだろう。
安全ボケしている国民性だというわけだ。
世界はそんなに甘くない。
海外へ行けば、鵜の目鷹の目で狙われているかもしれず、そのことはすぐに理解できる。
銃社会の功罪は・・・銃は生命と財産を守る道具であり、犯罪・暴力への抑止力。
しかし銃が、たった一瞬のしかも低コストで他者の命を奪う危険な器具であることから
その扱いには特に厳重に注意しなければならない。
携帯が可能で、同時に誰にでも入手可能であるがゆえ、
悪意を持つ人間の手にある銃器は、悪意を増長させる結果ともなり得る。
そして人間は「間違える」動物だ。
これに銃が絡む問題となれば、取り返しのつかない間違いを犯すこともある。
私は、内戦状態の国で、まだ幼い子供が自動小銃を手にする姿は見たくない。
しかも栄養状態が良くないため、お腹が奇妙に膨らんでいるのだ。
その銃は、アメリカ製、中国製、ソ連製などが主流である。
人が作った国というものは、どこまでいっても平等ではないのだ。
日本は銃規制のために、水際でのけん銃等の取締りと監視力強化など、
様々な取り締まりが行われている。
しかも莫大な予算を計上し、延々と続けられているのだ。
感謝したい。
日本が生ぬるい国で良かったと感謝する反面、
アメリカの精神風土の違いには吃驚する。
「開拓者精神・フロンティアスピリット」等と簡単には片づけられない。
生きていくだけで凄まじいものがある。
これが文化の違う、精神風土の違う米国の社会なのだろう。
何とも痛ましい事件だ。