墓…といえば、少子化に伴って、
誰が墓地を管理するか、供養するかという心配があります。
また、無縁墓の廃墓石に関連したトラブルもあります。
そのような問題に対し、管理的な面で最も妥当な解決策は、
合祀墓や納骨堂になるのだろうと思います。
納骨堂は巨大な合祀墓の内部が区分けされているというイメージがありますが、
御遺骨の安置がより明確に個別化されていることで、
プライベートな墓の雰囲気があるでしょう。
参拝する側も、個別な対象に対して祈りを捧げている感じがして、
合祀墓よりも受け入れやすいかもしれません。
また、手元供養も受け入れられやすい祈りの対象の形体の一つでしょう。
祈りの対象として、プライベートな墓の感覚は最も強いかもしれません。
ただ、個人が身に付けるタイプの手元供養の形態になると、
「家で」というより「個々に」死と向き合っているようで、
それはそれで問題な気もします。
納骨堂、合祀墓、手元供養などの現代の墓の流れがある中で、
表題の「インターネットでの墓」です。
正確には「合祀墓」+「インターネット」のようですが、
インターネット上に個々の写真や文章を残すという点では、
新しい供養の形態かなと思います。
特に、名前等で故人を検索できるということは、
インターネットの特徴を活かせるし、社会機能になるかもしれません。
昨年話題になった年金詐欺のような事件があると、
世間の監視の下に亡くなった人を管理する必要があるのではないかと思います。
ちなみに、アメリカで「1000memories.com」という、
インターネットに故人の写真や思い出を残すサービスがあります。
日本人には英語という難点はありますが、機能はそこそこ充実していて無料です。
(供養は付いてないですが)
参考:http://1000memories.com/
インターネットに故人の生きた形跡が残されていくというのも、
時代の流れかもしれません。数年後には当たり前になっているやも…。
私も、インターネット上に「故人情報」が残っても特に気になりませんが、
ただ、自分のときは辞めてほしいと思うのは、
無理のあるアニメーションで仏華を供えたり、ロウソクを灯したり、
「香・華・灯」は仏前供養の基本ですが、デジタルでは…ちょっと遠慮したいです。
ま、死んでいるので何とも言えませんが、まさに形骸化でしょう。
インターネットの墓はまだ模索の段階でしょうが、
今後出てくるであろう供養のカタチに注目したいと思います。