地面がゆれる。
右に左に大きくゆれる。遊園地の魔法のじゅうたんにのっているよう・・・。
上を見上げれば電線が大きくゆれている。
駐車場の10台位の車が、まるでダンスを踊っているかのように、
同じ方向に大きく揺れている。
車がこれ以上揺れたら、絶対にひっくりかえると恐ろしかった。
目の前のアスファルトに亀裂が走る。エクステリアのブロックが沈んでいく。
芝生の所々が液状化現象。側溝の水があふれそうに揺れている。
なかなか揺れが収まらない。これはいつもの地震の揺れでは無い。
止まったと思い立ちあがると、又すぐに大きな揺れがやってくる。
その度にしゃがみ込む。次の強い揺れで尻持ちをついた。
立ってふんばってなんかいられない状態。
尻持ちをついてから、右へ左へゴロンゴロンと体を持っていかれる。
何をどのように抵抗しても、もうなすがままに身をまかせるしかない・・・。
しかし何かが倒れて来たら(私の場合目の前にあった数本の電柱)逃げ
なければいけないので、揺られながら膝をついて構える。
雪が降りしきる中で余震が次から次へとやってくる。
30分位経ってようやく揺れが落ち着きました。
地震の最中に家族やMCプロから安否確認のメールが入りました。
最初、メールだけはつながったので、
揺れる中で「無事である」ことを返信しました。
その後、ホールの中へ入ると、私が講義をしていたテーブルも資料も、
全部ばらばらに動いて落ちていました。
あらゆるものが、落ちて、倒れて、壊れていました。
とりあえず自分の身の周りのものをまとめて、外で待機することにしました。
セミナーは中止となり、参加者が少しずつ帰途につきました。
この日の接遇コンテストの審査員で来ていた私とS氏を、
スタッフのMさんが会社近くのホテルまで送ってくれることになりました。
この道中が一番怖かったです。
橋は浮き、全壊の家、ブロック塀は破損、ガラスが割れ、
この辺りは川が多いので、橋が落ちたらホテルまでも
たどりつかないなどの恐怖の中、少しずつ移動しました。
私たちは仙台方面に向かっていましたが、
三陸方面に向かう対向車線は大渋滞でした。
仕事先から家族の安否を心配して向かう人が多かったのでしょう。
この日は帰京する日だったので、ホテルの予約はしていません。
たどりついたホテルは、水も電気もガスも駄目だったので、
最初は宿泊を断られました。
そこを「ロビーでもいいから」とS氏と頼み込み、ようやくOKが出ました。
この日は、屋根のある場所でしのげることになりました。
すぐに食糧のことが心配で、葬儀社スタッフに
「車でコンビニに連れて行って欲しい」と頼みました。
着いたコンビニはすでに長蛇の列。
カップラーメンや、おそば類など暖かい食べ物はすでに完売。
私は当面必要な物として、携帯電話用充電池、水500cc2本、
アクエリアス1リットル、飴、チョコレート、キシリトールガム、フリスク、
夕食としてかろうじて残っていた、電子レンジ用カレーを買いました。
この日は、空いているホテルの部屋に入ってもいいと言われましたが、
暗い部屋に一人でいることは怖かったので、
コートを着て寒いロビーで過ごすことにしました。
外では、シンシンと雪が降っていました。
夜になって、無理をした腰が痛み始めたので、
ホテルのバスタオルをお借りしました。
このバスタオルは帰京するまでずっとどこにいても、腰はもちろん、
寒さをしのぐためにも私を守ってくれた、ありがたい存在です。
深夜のホテルのロビーでラジオからは、
少しずつ被害の全容が分かってきました。
つづく。