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2011年04月07日

同窓会での刺激 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

先日、高校の同窓会というべきか、ただの飲み会が東京で開催され久々に出席した。
というのも遡ること3年前、48歳の時に地元(佐賀)で30年振りの本格的な同窓会。
これは事前に決まっていたらしいが、まったく知らなかった・・・が派手に挙行され、
私に出欠案内のハガキが届いた時には・・・半年前ではあったが、
既にセミナーのスケジュールが決まっていて参加不可能ということだった。
(半年前でも無理なものは無理なのだ)
何となく皆と会いたいなあ・・・と思っていたものだから、
同窓会の終了後、実行委員会から2枚組のDVDが届いた時には懐かしんだものだ。
往年のヒット曲に乗って変遷するスライドショーの数々、
一枚毎に驚愕するそのスライドショーには、若かりし頃の思い出のシーンが満載。
思いっ切り、笑って泣いたよ・・・青春が青い缶詰に詰まっていたようだった。
入学式から体育祭、学園祭、修学旅行、登山、ファイヤーストーム、卒業式・・・若い!
そして2枚目のDVDには、二日間に亘る祝宴の様子がビデオに収められていた。
メイン司会は地元佐賀テレビに就職した同級生の女性アナウンサー下村さん
・・・さすがに言葉が良く切れる。
ビデオで聞いていて、かなり巧いなあと思ったものだ。
この同窓会は、ただの同窓会というよりも、中身が盛りだくさんであるから、
催し物が多くて一泊二日は当然のようだった。
一日目は温泉に泊まり、二日目はホテルで行うという大贅沢。
皆さん、良く参加されたなあ・・・と不思議であった。

ところが、その時に東京でも開催したいという声があがったらしい。
というわけで、東京での同窓会というべきか、ただの飲み会が開催されたのである。
場所は新宿だったけど、30年も経つと飲む場所も変われば変わるもんさ。
田舎の居酒屋が懐かしいよ。
この30年の間に、太った太った・・・面白いほど太っている。
私もそうだけど、皆も同じである。
また、それぞれ勤めが違うから同窓会なのに異業種交換会、
しかも仲が良いという、一風変わった会になったものだ。
その時に自衛隊の制服組と背広組と両方いるのだけど、
ある組の方とのお話の中で田母神俊雄さんのお話になった。
2008年10月まで自衛隊航空幕僚長であった人だ。
なかなか面白い人物で、全てが正しいとは思わないが、田母神氏の言うことも一理ある。
ご存知だと思うが、彼はアパグループ主催の懸賞論文で、
「日本は侵略国家であったのか」という論文で最優秀賞を受賞しています。
しかし、そのことが問題となって航空幕僚長を解任という経緯がありました。
当時は少し騒ぎになったので覚えている方も多いでしょう。
この日は、田母神ファンがたくさんいました。
で、今日は田母神氏の一理あるお話を紹介したい。

彼は、歴史とは戦争に勝った者が作るのだから、
負けた方は一方的に歴史観を押し付けられるのが常である・・・と、
日本の歴史を振り返ってみても至極当然なことを言っているのですが・・・。
ところが話が大東亜戦争(第二次世界大戦)の事に及ぶと、
日本人の持つ歴史観に違和感を感じなければならないでしょう。
そして彼は、「歴史学」と「歴史」は違うと言い切っています。
これも私は大賛成の考え方ですが、しかし、本当の「歴史」は誰にも分からない。
またその歴史を見る視点次第で、歴史の真実は複数あるはずです。
彼の言いたいことの要旨は、明らかに間違った、あるいは偏った歴史教育を、
戦後の私たちは教育されてきた、そのことに問題提起をしているわけです。

例えば、創始改名について
私が学生時代に習ったのは、日本人が強制的に朝鮮人に創始改名をした・・・
このような事ではなかったかと思う。
しかし現在ウィキで調べてみても<強制説>と<自発的受容説>とあるように、
定説はまだ定まっていないようだ。
しかし、私は日本人が強制的に・・・と習ったはず。
実際田母神氏が言うには、強制じゃない証拠に、
朝鮮人の100%が創始改名をしたわけではないと言っているのだ。
朝鮮名のままでいた人たちがたくさん居たのだと。
更に1910年の日韓併合から1945年の終戦に至るまで、
1300万人から2500万人まで人口が2倍に増えています。
仮に残虐行為が行われるような国だったら、
ここまで大勢の人が集まるわけはないだろう、と指摘しています。

南京大虐殺について、
これは歴史的にもデッチ上げの可能性が高い。
南京城は出入り口が10か所で、わずか数キロ四方の堅固な城壁で囲まれた、
自衛隊の基地のような状態でした。
日本軍は南京をオープンシティにして、これ以上戦わないように提案しましたが、
中国軍は色々と事情もあったのでしょうが、拒否します。
すわっ戦争か・・・と、しかし日本軍が南京城に入る前に敵の司令官は逃亡しました。
ここで南京に取り残された兵士は無秩序状態になり統率が乱れます。
更に軍服を脱ぎ、民間人の恰好をしたままゲリラ的に攻撃を仕掛けてくる者もいました。
悲惨な戦闘だったことは確かなようです。
南京城は12月13日に陥落、12月17日には入城式、
翌18日には戦闘で亡くなった人たちの慰霊祭、
20日過ぎからは南京城に人々が集まり商売を始めています。
そんなに大勢の人が死んでいたら、とても無理なスケジュールです。
その証拠に、年が明けての国際連盟で中国政府の代表が
「日本軍が南京攻略の際、2万人の民間人を殺した」と証言しました。
しかし当時のフランスやイギリスの代表は
「そんなことがあるわけない」と突っぱねています。
しかし現在、中国は南京で30万人の虐殺があったと騒いでいます。
2万人でもおかしいと言われたはずなのに、いつから30万人に?

彼は更に、小沢一郎についても、石破茂についても、
鳩山由紀夫についてもコメントしていて、
その舌鋒の鋭さは、遠回しな言い方など一切なく実に単刀直入で、
面白い魅力的な人物だなあと思いました。


第15話 前半・後半

前回の話で太と葉子さんが結婚だって・・・さて、どうなるのでしょうか?
太の父親の事も大変気になります。
劇中で食べた金目の煮つけが凄く美味かった・・・記憶が残っています。
本気で食べてますからね・・・因みに酒もモノホンでっせ。

では、どうぞ。


投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年04月07日 08:00

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