さて、葬儀司会講座を十数年続けていると、結果としてテキストが大きく変わっている。
テキストの芯の部分は断じて変わらないが、その方法論は様々に増える。
時代と共に、受講してくださる皆様も変わるし、
時代そのものが要求するニーズも変わるからだろう。
しかし、講座のテキストを変えるのは容易ではない。
講師としては、かなり勇気がいることだ。
詳細な裏付けを必要とすることもあるし、作成に掛かる時間も膨大である。
しかし、私は毎年変え続けている。
じゃあ、何故大きく変わってしまうのか、その要因は何なのか。
「アイデアが溢れだす瞬間」と言う言葉がある。
私自身の感覚とは少しズレているが、アイデアは溢れだすものではない。
それはきっと天才の類だろう。
私の感覚では、アイデアは少しずつ溜まっていき、ある時アイデアの函が一杯になる。
次の瞬間、ポロッと、或いは一滴、零れ落ちるものなのだ。
断じて、絞り出すものではない。
アイデアには単位というものがないから、ここで単位を付けよう。
アイデアのアイだけを取って、最小単位のアイデアを1アイとしてもいいのだが、
それでは芸がない。
折角だから、アイデアの真ん中の二文字を取って、
アイデアの単位を「イデ」とし、その最小を「1イデ」にして話を進めよう。
(我田引水・・・笑)
講師は原則アウトプットばかりしている。
だから常にインプットを心掛けなければ、カラカラに干からびてしまう。
講師ほど勉強を続けなければならないのだが・・・。
葬儀業界でも講師は沢山いるが、長く続いている人もいればそうでない人もいた。
長く続けるのは大変だと思うが、無理をしてもしょうがない。
その辺りの判断は難しいところだが、結局、向いてるか向いてないかになるのか。
そして大きなポイントは、常にアイデアが零れ落ちてきてくれるか、
または、アイデアの井戸が枯れてしまうか・・・・。
アイデアの最小単位「1イデ」を大切にして、井手・・・あっ間違えた、
イデを心から敬い、井手・・・また、間違えた(しつこい)、
イデをコツコツと貯め続けることが出来るか。
要するに「イデ」に掛かっているのだ。
(私は、選挙に出るつもりはありませーん)
「変化は常にその外側からやってくる」
確かこんな言葉があったと思うが、
変化もアイデアも、やわらかい頭で常識に囚われず、でいれば意外と分かりやすい。
こうじゃなきゃダメ、とか、この世界感でしか通用しない、
という事がボーダレスになってきています
皆様も硬直しないように、お気を付け下さい。