サッカーの八百長問題は、
韓国だけでなくイタリアでも疑惑がありました。
それによりユベントスという有名な古豪も、
降格という厳しい処罰を受けました。
「八百長」は、世界共通で起きうるものなのでしょう。
それも含めて、スポーツと捉えるべきなのかもしれません。
オリンピックですら、開催地招致に関わる利権問題が、
未だに解決できているとは思えませんし。
スポーツで大なり小なりお金や利権が絡んでくる以上、
純粋に勝負を楽しむものではなく、
少なからず「八百長」は内包された要素と捉えるべきかもしれません。
もちろん、許容するべきことではないですが。
さて、日本に話を持ってくると、
相撲で八百長問題に揺れた時に出てきた言葉で、
「人情相撲」がありました。
江戸時代、谷風という横綱が、病気の母親を抱える相手に対し、
わざと負け懸賞を与えるという八百長のような相撲をやったことが、
かえって江戸っ子の喝さいを浴びたという講談が有名です。
八百長とは違い「私欲を一切廃して、他人のために負ける」点が、
人情相撲の特徴といるでしょうか。
人情相撲を暗黙に理解することも含め、
相撲と言う文化が成り立っていたと思います。
しかし、他のスポーツでもそうかもしれませんが、
プロ化、国際化という大きな資本社会の枠組みに合わせるに従って、
個人の情が勝負に影響することは排されるようになってきています。
一方で、八百長は無くなる気配はないですが…。
日本では、夏場所から相撲が復活するそうです。
近い将来は八百長の心配はないかもしれません。
しかし時間が経つにつれて、問題はまた起きてくるでしょう。
その時に、どれだけの問題になるのか、
どれだけの問題として捉えるのかは、
日本の文化や民度も影響していると思います。
個人的には、「人情相撲」のある文化は、好きなのですけどね。
ちなみに、八百長の由来は、wikipediaによると以下の通りです。
【八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。 しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。】
この八百屋の商品を買ってもらうのが、
幼い子供を育てるためや病気の母を養うためという背景があったりすると、
どう「人情相撲」と「八百長」の線引きしていいものやら、
分からなくなってきますけね。