私は今まで、数多くボランティアをしてきましたが、
災害ボランティアは初めてです。
すべてが自己責任の上に立った行動はもちろん、
生活備品も自前で賄うように言われましたので、持ち物の準備は大変でした。
ボランティアの内容は、主に寺院の修復作業と聞いていましたので、
着替え、作業着(長袖シャツ、長ズボン)長靴、ゴム手袋、皮手袋、
汗拭きタオル数枚、帽子、日焼け止め数種、虫除けスプレー、冷却スプレー、
救急セット等などをリュックにつめました。
他に、万が一のために、寝袋と安全靴も揃えました。
私たちが滞在した仙台の街中は何事もなかったように動いています。
しかし海に向かって行くと、徐々に壊れた建物が目立ち始めます。
そして東部道路という高速道路を過ぎると、
そこは見渡す限り、津波の傷跡が残されていました。
テレビで見ているのと同じ光景ですが、実際に見るともっと悲惨です。
私は言葉も出ませんでした。
カメラを持参しましたが、被災地の写真を撮ることに抵抗を感じて、
撮影はしませんでした。
この重い現実を心にとめて置くことだけで十分だと思いました。
初日と3日目は寺院の修復作業でした。
泥のかきだしと窓ガラス類の掃除です。
畳はすでに腐って取り除かれています。
大工さんがはがした床の底には、10センチ以上の泥が溜まっていました。
「ヘドロ」です。海から巨大な波としてやってきた津波は、
海の底の真っ黒なヘドロの塊だったと聞きました。
それがあらゆる家の床下に残っています。
これをそのままにすると、カビ、感染症の原因になります。
私たちは畳の下のヘダのすきまに入り込んで、
ひとかきずつ、泥をかきだしました。
少しずつバケツに入れて、それを今度は一輪車で運んで、庭の隅に積上げます。
汚泥が溜まると巡回している市役所の車が来て集積所まで運んでくれます。
泥出しの後には洗浄です。作業は悪臭にも悩まされました。
フィルター付きのマスクを用意しましたが、苦しくて10分と持ちません。
うがい、目薬、手洗いを繰り返しながら、
自分自身の健康も保ちながら休み休み作業しました。
作業の合間に時折、海からの風が吹いて気持ち良かったですが、
この日は34度近くまで気温が上がりました。
蒸し風呂のような状態の中、
「何かをしなければいけない」という気持ちに駆り立てられるように、
仲間たちとの作業は、黙々と進みました。
6人で1日頑張って、8畳ほどの部屋の床下がきれいになりました。
あとの1日は、七ヶ浜へ派遣されました。
仙台から車で40分ほどの場所です。元はきれいな浜だったそうです。
少しでも低い土地には車や家、材木などのがれきが残されています。
ここには本格的なボランティアセンターがあり、
ボランティアの為の食事や設備も整っていました。
何日も泊まりがけで過酷な仕事を続ける人も多くいるようです。
最近ではボランティアが救急車で運ばれることもあるそうです。
ボランティアは、4~5日間作業をしたら必ず1日は休むように言われています。
この日は土曜日で、全国から大型バスが何台も来ていて、
全部で250人のボランティアが結集していました。
少しではありますが室内での仕事から、砂浜のがれき処理、泥のかきだし、
チェーンソーを使った本格的な作業まで様々があり、
希望者に上手にマッチングされていました。
社協を中心とするコーディネーターの方々が、
素晴らしい仕事をしていると感じました。
私は前日が辛い仕事でしたので、ここのスタッフたちの笑顔を見てホッとしました。
被災地の現状はとても厳しく、何年も継続したサポートが求められます。
私は又、準備を整えて現地に戻って行こうと思っています。
ささやかではありますが、出来ることでサポートし続けようと思っています。