この問題は報道でも大きく取り上げられました。
まず、岩手県陸前高田市の高田松原の松に震災遺族らのメッセージを記して、
京都の「五山送り火」のまきにする計画が「大文字保存会」で挙がった。
それに応える形で、陸前高田市でメッセージが書かれた薪約350本集まった。
しかし、一部の者から「放射能汚染された灰が飛ぶ」などと、
抗議の電話やメールがあり一度は中止する意向になった。
この時点で、薪からは基準値を超える放射性物質は検出されていない。
しかし、この一連の経緯に対して、
「なぜ中止するのか」という逆のクレームが京都市に入った。
当然の動きだろう。
メッセージが書かれた約350本の薪は陸前高田市で迎え火に使われたが、
京都市は、新たに500本の薪を陸前高田市から取り寄せることになった。
しかし、新たに取り寄せた薪から放射性物質のセシウムが検出されたことにより、
最終的に断念する決断がなされた。
参照:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110812/lcl11081215500004-n1.htm
セシウム恐るべし。
得体の知れなさが、昔の疫病のような恐れられ方のように感じます。
現時点では放射線を滅殺する手段がないですし、
セシウムが検出された以上、
放射線の悪影響を知っているから安全策を取るのが常套でしょう。
話を進めてきた「大文字保存会」は責任を感じているかもしれませんが、
善意でされてきたことだと思いますし、
「大文字保存会」や京都市民を責めにくいでしょう。
陸前高田の気持ちや思いは、京都市民は受け入れたと思います。
それで十分ではないでしょうか。
セシウム(安全)と心(気持ち)の部分は、
切り離して考えるべきかと思いますが・・・、
繊細な問題だから、結論づけるのは難しいですね。
これからもセシウムや放射線物質に関連して、
似たような問題は起きてくるでしょう。