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2011年08月10日

原則は崩れつつあるのか(工場長こと古家寛)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

葬儀は自由になっている。
エイミー・ワインハウスというイギリスの歌手が、
7月23日に27歳の若さで自死した。
彼女の家系は敬虔なユダヤ教信者だったそうだが、
彼女はユダヤ教では原則禁止されている火葬で埋葬されたそうだ。
イスラム教、ユダヤ教では火葬が原則禁止されていると葬儀概論にも書かれているが、
現実は著名人がその原則を破っている。

キリスト教はどうか。
カトリック中央協議会によると、カトリックは日本の慣習に寛容で、
日本の焼香の慣習を受け入れているという。
これは宗教儀礼として焼香を受け入れているのではなく、
日本の慣習に敬意を示すという意味で、容認しているということである。
一方、プロテスタントでは焼香が原則禁止されている。
しかし、日本基督教団によると、プロテスタントは教会で焼香は行わないが、
葬儀会館では祭主との話し合い次第だという。
バプテスト教会やルーテル教会も、同様に祭主の考え方次第という考え方が強い。
電話では、教会での焼香には強い抵抗を感じたが、
カトリックだけが焼香など日本の慣習に寛容という単純な考えは、
改めた方が良いかもしれない。

逆に、仏式葬儀はどうか。
焼香するのが当然すぎて確認していないが、
○○宗は寛容で焼香の代わりに献花も容認しています、
もしくは献花を認めていないという宗派はあるのだろうか。
(多くの宗派で献花でもお別れをすることができると思うが)
昨年に研修で行った高野山真言宗では、
朝のお勤めに外国の方がいたが、その方は焼香を拒否した。
他の宗教、外国の方が受け入れやすい方法は、なかったのだろうか。
また、アメリカで仏式葬儀をする場合は、
焼香よりも献花の方が一般的なのだろうか。

原則というからには、その背景に宗教的な理由が必ずある。
また、他の作法や儀礼に寛容なことにも理由がある。
しかし、それらの宗教的理由が人々の生活や心から離れているから、
葬儀における原則は崩れつつあるのかもしれない。

「逆縁の親は火葬場に入ってはいけない」や、
「火葬場からの帰りは別の道を通る」といった習俗的な原則は、
宗教的な原則よりも早く消えつつある。
霊柩車を見て親指を隠す子供も減っているのではなかろうか。
寧ろ、珍しい車体を携帯の写メールで撮ったりしていないか。

宗教や死に対する人の感覚は、常に変化している。
その変化に合わせて、宗教も変わる。当然、葬儀も変わってくる。
絶対的な宗教的価値観もあるだろうが、
変わらない部分と変わる部分の線引きも難しい。
正しいと思っていたことが、(時代が変化して)実はそうではないかもしれないと、
柔軟に対応できる姿勢を持っていた方が安全かもしれない。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年08月10日 08:08

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