キリスト教はどうか。
カトリック中央協議会によると、カトリックは日本の慣習に寛容で、
日本の焼香の慣習を受け入れているという。
これは宗教儀礼として焼香を受け入れているのではなく、
日本の慣習に敬意を示すという意味で、容認しているということである。
一方、プロテスタントでは焼香が原則禁止されている。
しかし、日本基督教団によると、プロテスタントは教会で焼香は行わないが、
葬儀会館では祭主との話し合い次第だという。
バプテスト教会やルーテル教会も、同様に祭主の考え方次第という考え方が強い。
電話では、教会での焼香には強い抵抗を感じたが、
カトリックだけが焼香など日本の慣習に寛容という単純な考えは、
改めた方が良いかもしれない。
逆に、仏式葬儀はどうか。
焼香するのが当然すぎて確認していないが、
○○宗は寛容で焼香の代わりに献花も容認しています、
もしくは献花を認めていないという宗派はあるのだろうか。
(多くの宗派で献花でもお別れをすることができると思うが)
昨年に研修で行った高野山真言宗では、
朝のお勤めに外国の方がいたが、その方は焼香を拒否した。
他の宗教、外国の方が受け入れやすい方法は、なかったのだろうか。
また、アメリカで仏式葬儀をする場合は、
焼香よりも献花の方が一般的なのだろうか。
原則というからには、その背景に宗教的な理由が必ずある。
また、他の作法や儀礼に寛容なことにも理由がある。
しかし、それらの宗教的理由が人々の生活や心から離れているから、
葬儀における原則は崩れつつあるのかもしれない。
「逆縁の親は火葬場に入ってはいけない」や、
「火葬場からの帰りは別の道を通る」といった習俗的な原則は、
宗教的な原則よりも早く消えつつある。
霊柩車を見て親指を隠す子供も減っているのではなかろうか。
寧ろ、珍しい車体を携帯の写メールで撮ったりしていないか。
宗教や死に対する人の感覚は、常に変化している。
その変化に合わせて、宗教も変わる。当然、葬儀も変わってくる。
絶対的な宗教的価値観もあるだろうが、
変わらない部分と変わる部分の線引きも難しい。
正しいと思っていたことが、(時代が変化して)実はそうではないかもしれないと、
柔軟に対応できる姿勢を持っていた方が安全かもしれない。