原発事故の直後、政府は「直ちに影響の出るレベルでは無い」という言葉を連発した。
現在その言葉は聞かれないが、原発事故による放射能汚染の影響が、
どれ程なのかは公表されないままである。調査しているのかすらわからない。
また、マスコミもかつて程報道しなくなっている。
情報が出てこないから、かえって住民が不安になるのは当然である。
行き場のない現地の人々が、日々拡散されている放射性物質に対して、
不安を募らせるのも無理は無い。
少しでも放射能を遠ざけたいと思う気持ちもわかる。
住民の不安な気持ちに応える寺院も、大変であろう。
仏教では、不安やおそ惧れを抱いている人に対して、
安心の施しをすることを「無畏施」または「施無畏」という。
汚染土を引き受けるということも、
寺院側にとっては「無畏施」の一環なのだろうか・・・。
檀家関係の深さにもよるのだろうが、
寺院があまり無理をしすぎないように祈るばかりである。
「土砂加持」という言葉がある。
密教で、光明真言を誦して土砂を加持する事により土の穢れを成仏し、
土にかえった亡者を光明の力で罪を除き、極楽浄土に導くという。
人が死んで、埋葬されて、「土にかえる」という言葉もまだ残っているが、
土葬の頃は、人の死と土は密接に関係していた。
(ちなみに、明治29年の火葬率は約25%で昔はほとんどが土葬だった)
土砂加持法要は真言宗にしかないが、
福島県の一部の住民には、気持ち的な面で土砂加持を求めているのかもしれない。
宗教儀礼で、科学的な放射性物質が取り除かれる訳ではない。
それでも、日本人の最後の心の拠り所の一つには、寺院があるのだろう。
宗教離れが叫ばれて久しいが、決して宗教が不要な訳ではない。