子どもは、無条件に可愛がられますね。
なんでしょう、あの魔法の力は。
肌がツルツルだからでしょうか。
多くの人に可愛がられる特性は、
子供独特の本能なのかもしれません。
さて、お盆で感じたのは、
最近は世代をつなぐ「縦のつながり」を意識する機会は、
私の生活の中で、ずいぶん減ったなということです。
一方で、友人や仕事、またソーシャルメディアを通じた
「横のつながり」は増えている気がします。
震災が起きて「つながり」の大切さがメディアを通じて謳われていますが、
どうも広く浅く、軽い感じがしてなりません。
今はインターネットが有るので、単なる情報交換でも、
あたかも被災地と「つながっている」感覚にもなります。
しかし、実生活では距離が離れているので寄付や支援物資程度しか支援ができません。
寄付や援助を行って支援している人ならまだしも、
単に、見守ってますとか、応援してますとかだけで終わる程度の関係でも、
「つながっている」感覚にはなるでしょう。
しかし、それだけでは実際に何の役にも立っていません。
雰囲気的につながっているような感覚が残るだけです。
「つながり」と同様に、「絆」という言葉もよく使われます。
絆とは、「断つことのできない人と人との強い結びつき」のことを指し、
本来は、家族や親友に対して使う言葉でしょう。
それが震災を機に「日本国民の絆」などと使われるようになると、
そもそも家族の絆が薄まっているのに、あまい感覚だと感じざるえません。
広く、浅いつながりが増える一方で、
身近な家族や親友などの絆が軽視される状況になっているのなら、
その生活はあやうい感じがします。
ただ現実は、広く浅いつながりの中で、
上手に世渡りをしていく人々が増えている気もしますが・・・。
そして、まさに私の世代が、そういった人々の中心に位置している気もします。
親や子といった本来の絆を、改めて大切にしたいと思う、
震災の年の盆でした。