私が人材派遣(当時の呼び方は便利屋)で働いていた頃のお話。
その一つ。
ある時、葬祭の貸会場で葬儀を行うことになり、そのための準備をしていた。
隣接の倉庫にトラックを横付けし、祭壇類一式を積み込む。
と一口にいっても、余裕がある積み込みではなく、
かなり巧く積み込まないと全部は積み込めないという、厳しい条件下での積み込みだ。
だからこそ、我々のようなプロフェッショナルが呼ばれたのだ。
(えー、ただの人材派遣ですけど・・・まあプロフェッショナルね)
今にして思えば、いつものように若いA君とB君に任せとけばよかったものを、
(ホントその方がよっぽど良かった)
彼らの大先輩である私が調子に乗って、図に乗って、
「よしっ、俺が積む込みのイロハを教えてやるっ!」と言ってしまっていた。
(恰好つけマンだからしょうがないか)
倉庫では、積み込む物をあれやこれやと引っ掻き回し、
ついでに私の指示も「えーとっ・・・」「それっ、じゃなくてこれか」とか
「あっごめん、やっぱりこれだったかな」と徐々に迷走を繰り返す。
(よしっ、俺が積む込みのイロハを教えてやるっ!)
と啖呵を切った手前、訳が分からなくなったとはとても言い出せず・・・
そうこうする内に、アレッ不思議だ・・・ふっと肩の力が抜けたように、
天の啓示を受けた(新興宗教の教祖になった)かのように悟った。
「これはそこの右っ!」
「これはその隙間!」
「こいつはその箱の上!」と、的確な指示を次々と繰り出す。
まるでピタリピタリとマジックの様に積み込みが巧く決まりだした。
(ふっふふ、俺様の真の力に驚いてるだろうな・・・本当は自分がビックリ)
かくしてトラックの中は蟻の這い出る隙間もないほどビッシリ積まれ、
そのせいか天井の部分には、人間が2人ほどゆったり寝れるくらいの余裕があった。
「おいA君、石が流れると書いて何と読む」
「かるいし」
「違う」
「どせきりゅう」
「それも違う」
「ながれいし」
「そのまんまやないか、じゃB君」
「んー、せきりゅう?」
「全然違うけど、ちょっと惜しい感じがする」
「じゃあ、せきる」
「ごめん、やっぱ惜しくなかった」
こんな軽口が飛び出すのも仕事の充実感に満たされていたから。
私が皆に振る舞った缶コーヒーを飲みながら、
軽―く積み込んだ荷物と共に、我々3人を乗せたトラックは貸会場へ。
祭壇飾りが始まった。
積み込みも早いが積み出しも早い。
あっという間にトラックは空、さあ祭壇を組んでいこう。
その時、何故か危険を知らせる警報が頭の中で鳴った「?」ようだったが・・・。
段を組み、幕板を嵌めて、天板を乗せる。
左右の位置確認と中心をしっかり合わせ、明かりを仕込む場合は予め用意しとく。
壁の幕張、水引とライティングの処理は終わったから、
それでは上物を乗せていこう・・・と、皆の手が止まった。
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「なんだっ、この殺気は」(嫌な予感)
他の二人は見詰め合って、何やら私に言い出せないでいる。
「ぎっえっー!!!」
気づいたっ!
「輿を忘れたっー」
私は過去に何度も忘れ物をしたことがあるが、
祭壇の、しかも輿を忘れるなんて考えられない。
決して小物を忘れたのではなく、大物を忘れたという・・・不思議な事件である。
ヒューマンエラーには、<スリップ>と<ミステイク>がある。
スリップは手元が滑ったイメージ。
ミステイクは、そもそも認識から間違っているイメージ。
例えば、電話番号なら
4を押すべきところを、一段下の7を押すのがスリップ。
しかし、電話番号の記憶が4ではなく7と覚えていたならミステイク。
このケースは・・・どっちだ、恐らくミステイクだな。
勿論、リカバリーは問題なく出来たが・・・桐ケ谷斎場と葬儀社の位置関係が
近かったからラッキーだった・・・あれ以来、祭壇飾りで輿を忘れたことがある
という人にはお目にかかったことがない。