« 「お」と「ご」について (井手一男) |
メイン
| 親鸞聖人七百五十回大遠忌法要 その1 (加藤直美) »
2011年11月28日
司会者の仕事で、ミスはあってはならないが・・・残念ながらあるものだ。
随分前だが、N大学ゴルフ部の著名な監督さんのお葬式でのこと。
過去のある授賞式でのビデオが延々と放映されていた。
彼の教え子の中にはプロになったメンバーも多く誠に賑やかであった。
そして、そのビデオの中で司会を務めているのは誰もが知る司会者Tさん。
テレビでお馴染みの顔である。
ところが、そのビデオの中で柔和な顔をしたT司会者は、
故人の名前を何度が読み間違えている。
(きっと間違えて認識したのであろう・・・スリップではなくミステイクだ)
こういうことはあってはならないことだろうが、現実にはあるのだ。
それだけなら、あーあビデオに録画していなければよかったのに・・・で済んだ。
ところが、(弊社の)葬儀司会を担当している者に対して、
新聞社の記者や取り巻きの人間たちが何度も「名前を間違えるな」と云いに来る。
間違ってはいないのだが、ビデオに映る著名な司会者が言っている名前と違う、
・・・のだから始末に悪い。
放映されているビデオにケチを付けるわけにもいかず、困ったもんだ。
「Tさんが名前を読み間違えて、それをそのまま放送しているんです」
と言えれば、どんなに気が楽な事だろう。
このような事は、実は決して珍しい事ではない。
一方、言葉の意味を誤って使ったという例も、枚挙に暇がない。
取材表には「従軍看護婦」と遺族が記入してあるにも係らず、
故人の紹介ナレーションでは「従軍慰安婦」と言ってしまうようなことである。
例として似ているかもしれないが、言葉の意味を誤って覚えている人が多くて、
なかなか使いにくくなった言葉も多い。(言葉は生き物であるから・・・)
「気のおけない人」は、「気づかいをしなくてもよいような人」の事だが、
「気が許せない人、油断できない人」という風に、反対の意味で覚えている人は多い。
「情けは人の為ならず」は、
「情けを人にかけておけば、巡り巡って自分に良い報いが来る」という意味である。
しかし「情けをかけることは、甘やかすことでその人の為にならない」
という意味で使われる場面もあるようだ。(実に難しい)
「流れに掉さす」も同様で、
本来の意味は「棹を使って流れを下るように、大勢に従って進む」だが、
「時流に逆らう」という意味で使われることもあるらしい。
本来は誤用だったのだろうが、多くの人がこれで覚えて使いだすと、
ことわざの意味が変化してくるから不思議だ。
葬儀の司会者はエラーも怖いが、このような「ゆれ」ている言葉は避けるしかない。
むやみに使わず、他の言葉で言い換えるようにした方が望ましいだろう。
|
投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2011年11月28日 08:30
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/2268
|